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鍵が落ちる音

仕事って暇な方が疲れるって本当だ。
年末だからか、クライアントの予算がないのか、日に日に依頼が減って、一日の半分以上をごまかして、用もないファイルを開いて、適当な文字を打っては消してまた閉じる。

帰り道は音楽を聴いて自分の中に閉じこもり、電車が私を家の近くまで運んでくれるのをただ待つのみ。

お気に入りのプレイリストが一周したのをきっかけに、少し痛くなった耳からイヤホンを外すと、「チャリン」というかすかな音がした。

目の前の床には鈴がついた白猫のキーホルダーにつながれた自転車のカギ。

今降りて行った誰かが落としたのだろう。
車内も混んできて、拾おうとする手を誰かに踏まれそうで躊躇したが、失くした時の絶望感をよく知っているから、やおらその猫と鍵をすくい上げて、ドアへと急ぐ。

「誰か、これ、落としませんでしたか?」

言いかけた瞬間、無情にドアは閉じる。
もっと酷なことに、ガラスの向こうで目が合ったその人は、私の右手の猫を見つけて悲しげに頭を抱えていた。

男性?眼鏡かけてた?

刑事ドラマでよく見る、モンタージュで犯人特定できる精度など絶対信じられない位、一瞬でその顔は流れて消えた。

さて、この猫。いや、鍵。どうしよう。
私の降りる駅はまだ先だけど、次で下車して遺失物係に届けるか。
きっと彼も駅で紛失届を出すから、手元に帰るはずだ。
そもそも拾ったことを「目撃」されてしまったのだから、届けなかったら私が極悪人になる。

次の駅に着くまでの間、手のひらの猫をぼーっと見ていた。
学生時代流行ったゆるキャラに似て、当時やたらグッズを集めていたことを思い出す。
そして私もモノをよく失くすから、紐でも鈴でもつけておけと、友達に呆れられていた。

「危なっかしいから、お前に鈴つけていいか?」

耳元で急に声が聞こえた気がして、ハっと顔を上げる。
あまりの勢いに周りに怪訝な目で見られ、中吊り広告を見るふりしてごまかした。

なんで今更思い出す。鍵ではなくて、心を失くしたあの日のことを。

風のように通り過ぎた淡い痛みと、最後にくしゃっと泣きそうな顔で頭を掻いたまま、見送られた記憶…


次の駅に電車は滑り込み、私は鍵を握りしめてホームへ降りた。
窓口へ向かう階段には行かずにホームのベンチへ腰を下ろす。

5分後に次の電車が到着し、目の前に止まるドアから降りてきた猫の飼い主。

『鈴の効力ってすごいんだな。』

訂正する。
モンタージュは、一瞬でもできるんだ。
ただし、人による。例えば自分で何万回も書いているとか。

『お前にもつけておけばなくさなかったのかな。』

『ずっとついてたんじゃない?』

そう言って私は彼の手に鍵を落とす。

チャリンと鳴ったのは鈴と、私の落ちる音。


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