目の前の友達を苦手と思うなら、きっとそれは自分の弱みの鏡だ

マジ聞いてくれよ!

その言葉を聞いて心底嫌気がさした。

月末の金曜の夜はとても疲れる。
やることが多いし、社内もピリピリしていて気疲れする。

ただそんなバットデーも終えて私は帰路に立った。
ふう、、と会社から出ると自然にため息が出た。
そのため息がきっかけで気持ちが軽くなり軽快に夜の街へかける。

と言っても駅になんだけどね。
昔は金曜は飲みに行くのが楽しくて気持ちが良かったけれど、
今は早く帰ってお気に入りの小説やドラマ、アニメを見て早めに寝るのが心地よい。
これが老いというものだろうか。はたまた成長だろうか。
次の日に二日酔いや体の重みを感じずに6時に起きてジムに行く今の方がリフレッシュできている気がするので成長だということにする。

私はそんな土曜日を迎えるためにそそくさと家の門をくぐり、手を洗いそのままお風呂に行く。

少し潔癖な私は汗まみれで布団や地面に座るのが少し嫌なので、そうするのだ。
顔のメイクを持ち越す辛さも髪のべたべたもしばらく感じていない。
潔癖という一見ネガティブに働く意味合いの言葉は私にとっては幸いだった。

お風呂から出てまったりタイムが開始される時にLINEが鳴る。
友達からだ。
化粧水などを塗る間、手が空くからいいかと思い通話に応える。

おつ!今いい?

良いよ〜と導入美容液をプッシュしながら答える。

いやさ、聞いてほしくて〜

声の調子からわかる。多分愚痴だろうなと。
内容はこの前同性の後輩と上海旅行に行った時に後輩が何もせずに、自分に頼り切って大変だったというもの。

だからさ、あいつとはしばらくいいかな〜

その言葉を聞いてなぜかイラッとした。
その答えはわざわざ言語化作業をしなくとも直感的わかった。
不満の限界を超えたのだ。

心ってコップに例えられることがある。
不満は水。初めのうちは注がれていても気にならないのだ。
いや、気にしないようにするんだ。大人だからこんなことで怒るのも小さいよなと。

でも、その人が定期的に水を抜いてくれる人でないと注がれ続けた水は限界を超えて溢れる。
そして一度溢れて終えばもう無理だ。

その限界がとうとうきたんだ。
彼はいわゆるテイカーだった。
数年前にアダムクラントさんの著書「GIVE & TAKE: 「与える人」こそ成功する時代」を発売を機に日本ではギバー、テイカーという言葉が広まった。

言い切ってしまったがあくまで主観なので間違っていたらごめんなさいやじん。

テイカーとは目先に欲にくらんで他人から奪う行為を行い続けてしまう人だ。
まさに彼はそうで人の時間や友人、パートナーなどほしいと思ったらすぐに要求してくるのだ。

初めは良いやつだった。というか良いやつと誤認していたのだろう。
要求もまだ小さいころは「まあ、友達だからいいか」と見ないようにしていた。
ただどんどん要求はエスカレートしていき答えられないと怒る、陰口を言うなどが目立ってきた。

その行為も目も逸らしていたのだが、彼のエピソードを聞いて思ったんだ。
「自分が要求されると怒るんだ」と。

社会人になってストレスをいかに減らせるかは重要な命題だ。
そして大抵のストレスは対人関係にある。アドラーさんも言ってた。
あいつが言うならきっとそうなんだ。

何が言いたいかっていうと悪縁は切る方がいいってことだ。
私は何かの糸が切れ、彼に悪態をついた。
そしてなかなかに後味の悪いエンディングを迎えた。

そして一週間、頭の中はイライラでいっぱいだった。
自分で言うのもあれだけど長すぎますな。

どうしても耐えられなくなって友達に愚痴をこぼしてしまった。
そしてスッキリしたときに思った。
私は今、彼と同じことをしていないか、、と。

相手の時間を奪って愚痴を聞いてもらう。
私は良いが聞かされた当人はどうなんだろうか。
おそらくメリットはない。

他人は自分を映す鏡だという。
憎んだ彼は私だったのかもしれない。
いやいや、彼みたいに頻繁に愚痴なんて、、、と言い訳する自分がいた。

けれど愚痴っぽいところは自覚しているではないか。
自己嫌悪。

私は選択を迫られているんだなと感じた。
目をそらすこともできる。でも、課題というのは目を逸らしてその場をやり過ごせても未来で追いついてまた振り向かされるのだ。

向き合うしかない。それ一択だった。
愚痴っぽい私はできる限りストレスを溜めない工夫が必要だ。

今の習慣の中で筋トレ、読書はかなり良い解消法だ。
でも、違うものも試してみよう。

そう思ってとりあえずタイ古式マッサージに行くことにした。

そして良かったら、友達に言うんだ。

マジ聞いてくれよ!ってさ

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