死にたいんじゃなくて生きる理由がないから死にたいなんて言いたくないなって思う

最近、嫌なことが続いてしまったり周りでネガティブな状態になっていることを目にしたりしたためなのか久しぶりにバッドに入っている。

きっと過去の地獄と比べれば今は幸せなはずなのに、つい死にたいって言葉を呟いてしまう。でも必死の抵抗でそんなことないって修正する。

自分なりにテンションが上がることをしてみる。
それは筋トレであったり温泉に行くことであったり、本を読むことであったり。
その瞬間はポジティブになれるのだ。なのに次の日にはまた戻ってしまう。
まだポジティブな行動をする元気があるだけマシだけど、いつまでこの気持ちなんだろうと思ってしまう。

仕事って大変だなと思うことは多くあるけど、最近は自分の都合に関係なく物事が進んでしまうことがつらい。何を当たり前のこと言ってんだよって自分につっこむ毎日だ。

死に関する言葉で大きな支持を得ている言葉に「死にたいんじゃない、生きたい理由がないのだ」という言葉をちらほら見る。
誰が言い出したのか、まさに現代の人間をマイナスに後押ししてしまう一言だ。

今の人には夢がない人が多いらしい。らしいと言って自分もそうなんだけど。
そんな人類にこの言葉はまずい後押しの効果があるよなと思ってしまう。

やりたいこと=生きる意味っていう式はまるでそれっぽい。
でも、生きる意味なんて大層なことでなくていいはずなのだ。
明日、ジム生きたいとか好きなアニメみたいとか好きな人とバカしてたいとか。
でもやりたいことや目標がなければなんとなくダメな気がして、そんな気がするときに先述した言葉なんて見つけたもんなら死にたいのかもしれないというミスリードが起きちゃわないかなと思ってしまう。

そんなときに西尾維新さんの作品の言葉を思い出す。
絶賛学生のときに流行っていて中二心をくすぐる天才すぎて大好きだった。

好きな言葉はいっぱいあるけれど今思いつく言葉は下記の素敵な言葉だ。
これは不幸に甘んじる主人公に対して仲間がかけた言葉なんだけどさ。

幸せにならないから勘弁してください幸せになろうとなんかしないから
どうか許して下さい
どうか見逃して下さい といっているようにも
僕たちはこんなに不幸なんだから 責めるなよ かわいそうだろって主張しているようにも
ひょっとしてあなた 不幸や不遇に甘んじていることを頑張ってると思っちゃってるんじゃないの?
そういうのを世間では 何もしていないっていうんだよ
不幸なくらいで許されると思うな ハッピーエンドを目指すべきだ

痛烈だなと当時も思ったけど今も心にグッとくる。
不幸なくらいで許されると思うな、ハッピーエンドを目指すべきだ。
きっと他人には言えないけど自分はそうであらないといけないよなと襟を正される。

油断するとネガティブな言葉を吐きそうになるけれど、無理はしない程度に前を向こうと思う。


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