辛いことがあると全てをゼロにしたくなるのはわかるが幸せなときにも現れる破滅衝動は本当に厄介だ

誰にも言えないことってのは誰にでもあるなと思っていて、
まともな人にさえあるのだからまともでない私にも当然ある。

それは破滅衝動だ。
言葉にするとすごくかっこいいなと元中二病患者は何かが疼くけれども、
意外とやっかいだ。

自覚したのは大学生のころ。
就活のためにインターンシップを名もない中小企業でしていた際に、社長から言われたのだ。

〇〇は自分からやばい方向に行く癖があるから気をつけた方がいいぞ、マジで

当時とんがっていた私はきっとそういう言葉を貰えばすぐに戦ってやんぞ!
となっていたのだが、社長が茶化しではなく真剣に言うもんだから
この人は本気で言ってくれてるんだと思い頷いた。

それからはあまり意識はしていなかったが、そんなものが自分の中にあるんだとぼやっと考え始めた。
今思えばその危うい何かに気がつかせてくれてありがたいと思う。

大抵のものは正体がわかれば対処ができるのだ。

でも頭の悪い私はあまり向き合ってこずに、その場面が来るまでは考えず
来たなってときに振り返る。

とはいえ何回も出会っているわけで大体のこいつの正体はわかっている。
好奇心だ。

悪いことをしたらどうなるのだろうと思ってしてしまう。
学生の時に静かなクラスで叫びたくなるあれの上位互換だ。

多分この衝動を助長しているのは運の良さもあるんだと思う。
今まで絶望的な瞬間に周りが声をかけてくれたりと運に助けられることが多かった。

だから悪くなっても結果どうにかなるから悪いことをしたことで得るものだけを知りたいとなっているのだろう。

と思っていたけどもしかして違うかもしれないと文を書きながら思った。
幸せになる手段として使っているということはないだろうか。

破滅衝動が発生する時は辛いことがあったときか、とても幸せなことがあったときだ。

辛いときは悪いことをすることでシンプルにスカッとするというのもあるし、
私の場合、運が発動すると思っている。実際はいつまで助けてくれるかはわからないのに。
その運のおかげで辛いことから脱せられると感覚が知っていて衝動が起こっているのではないかという考察。

幸せなときはいつまでも続かないことを知っているから、すぐに壊しておいて痛みを最小化しようとしている。もしくは本当にこの幸せは本物なのか試したくなっているか。

全然整理せずに書き殴っているけれど、どの場面を切り取っても中々に香ばしいやつだな。

結局は弱いだろうな。あれこれそれっぽいことを書いてはいるが。
仮に幸せに使っているのだとすれば、幸せなんて基準を下げるかもしくは努力するしかない。
両方ともに痛みがある。

それを避けて一発逆転の手段を使っているあたり弱さを感じる。
子供なら可愛いが良い歳したやつが抱えるものではないな。

中々に香ばしいものになってきてしまったんので一旦筆を置いてしまうぜ。

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