世界認識と印象化について
この作品はまさに、世界表現であり、世界認識のための切り口についてです。
印象化について
西洋絵画において印象派という括りがある。1860年代、画家は、クライアントからの依頼を受けてポートレイトを描くことを仕事としていた。いかに写実的に描くか。画家の主な職能はそこに発揮されていた。
しかし1870年代にカメラが登場する。カメラが映し出す画は、誰の目から見ても写実的であることは明白だった。職能をカメラという機械に奪われた画家たちは、苦悩の末に印象派と呼ばれる事になるスタイルを確立する。印象派は、画家自身の視覚から認識される世界の見え方をありのまま表現しようとした。
これは印象派の代表的な画家であるモネの睡蓮の一作である。重要なのは、この絵はモネの世界認識をリアルに表しているという事である。つまり、モネにとっては写実的に描いた睡蓮よりもこっちの方がリアルな世界認識なのである。
恐らくモネは実際に水に浮かぶ睡蓮を見ながら書いたのであろうが、我々が認識できるのは、「ぼやけていて」「輪郭のあいまいな」「睡蓮の花と葉っぽい何か」であろう。少なくとも私にはそのように見える。これは製作者と鑑賞者の間の世界認識の誤差であり、この誤差から、製作者の美的感覚や神秘性が色濃く表れる。
ここまでの説明をまとめると上のイラストのようになるだろうか。写実的な認知にモネの美的感覚や神秘性が加わると、モネの世界認識(鑑賞者から見れば印象に過ぎない)に変化する。このプロセスを印象化と名付けよう。
作品の製作プロセス
この作品は印象化によって生まれたものであるので、その印象化のプロセスについて説明したい。
①私自身の視覚による写実的認識
プロセスは当然私の視覚による写実的認識から始まる。
私が現在住んでいる広島には大きな川が何本も流れている。広島に来てから川が好きになった私は、頻繁に川辺を散歩するようになった。ある時、水面をじっと見つめていると、光の反射によって、絶えずユラユラうごめくその模様にくぎ付けになった。客観的に言えば、美的感覚や神秘性が想起されたといえる。
これがプロセスの最初である。
②カメラによる写実的認識の保存
水面の模様を気に入った私はそれを写真に収めようと思い、スマホのシャッターを切った。その時に撮った写真がこれである。
かなりズームしたので画質が相当悪く、その色も相まって到底綺麗な写真とは言えないが、水のうねりによって浮かび上がる自由曲線的な模様を捉えることが出来た。
これによって、私の視覚による写実的認識を、写真メディアという形に保存することが出来た。
③コンピュータによるメタ認識
次のステップでは、コンピュータに活躍してもらった。このステップは複雑になるので初めに簡潔に説明すると、「先ほどの写真をピクセル化し、ピクセルごとの色を基にして、写真という2次元メディアを3次元情報に発展させた」という事になる。
さて簡潔に説明できたところでstep by stepで詳細に説明したい。
③‐1 写真をピクセルグリッドに分割する
576個の正方形ピクセルが生まれた。
③‐2 ピクセルごとの平均RGB値を割り出す。
ここで色を扱ったのは正直画像メディアから読み取れるのはそのくらいの情報しかなかったからである。仮に、より高次な情報、例えばピクセルごとの匂い、手触り、味、感情、温度などが分かるのならばそれらを扱っても良かった。
③‐3 RGBの値の内、すべてのピクセルのBの値のみ255に変える。
これによって、R(red)とG(green)の値はそのまま、B(blue)の色味が強調される。なぜblueを強調したかと言えば、私は青が好きだからである。これは至極私的な美的感覚であり、コンピュータによるメタ認知を謳う上では失敗である。許して欲しい。
この操作によって生まれたのが次の画像である。
なんとなく上の画像としたの画像の模様の相関が見えないだろうか。モネの睡蓮のような印象化に近づいた感じがある。
③‐4 それぞれのRG値の積の値を五段階に分ける
最終的にフィジカルなものに出力する際に、着色しやすいように色を五段階に分けた。
③‐5 RG値の積の値に対応するようにピクセルを立ち上げる。
最後に三次元にするステップである。第三次元方向に立ち上げるには、立ち上げる高さを決めなくてはいけない。ここではRG値の積の値が小さければ小さいほど高さは低く、大きれば大きいほど高くした。
これによってコンピュータ上では三次元の情報として記述することが出来た。
コンピュータによるメタ認識の段階によって、写実的認識という私自身の個人的センスから切り離されたメタ的なものとして返還された。コンピュータが主観を持たないという事がこの段階において重要な要素である。
④フィジカルな作品への出力
プロセスの初めは「水面の反射によってできる模様」という現象であった。現象というのは、私が認知する前の段階、つまり、認知の外側。実存に存在しているという事である。現象によって始まったものは最終的に現象として終わらせるのがきれいな終わり方だろう。そこで、コンピュータ上の三次元情報を3Dプリンターによって出力したうえで、手作業で着色し、作品を完成させた。
この製作プロセスによって、視覚によって想起された美的感覚を、コンピュータを媒介させることによって、主観性を排除したフィジカルな作品を出力することが出来た。
計算機・生成系AIと主観性について
ここ半年くらいだろうか。midjurneyやStable Diffusionaなどの拡散モデルを用いた画像生成AIや、Chat-GPTをはじめとする対話型AIなど、自然言語処理に基づく生成系AIが実用的なレベルにまで発達してきた。
人類史におけるAIという存在の特異な点の一つは、主観性を持たない者と意思疎通ができるという事である。民主的に管理されたAIは、膨大な学習データを基に、大衆が作り上げるイメージの輪郭を的確に生成する。これを説明するのに丁度いい興味深いツイートがあったので紹介する。
この画像からあなたは何を想起するだろうか?
私的には、
・アニメテイストの女性
・長い髪を振り乱してエビ反りをしている(ダンスの一コマだろうか)
このように見える。
このイラストには明らかにそうだとわかる人のパーツ(頭、手、足)などは見つからないが、「なんとなくそれっぽい」何かは認識できる。ツイートでも言及しているがまさに印象主義のそれである。モネの睡蓮と異なる点は、製作者に主観性がないという事である。
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