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こういうのでいい

久々に高校時代の友達(今も友達だが)と遊んだ。
"遊んだ" という表現で正しいのだろうか。

高校生の時まで友達と ""遊ぶ""といえば、外でバスケやキャッチボールをしたり、チャリで市外まで行ったり、イオンで男だけでプリをとって映画を見て服を買う。
そんなのが僕らの"遊び"だった。

でも思い返せばいつしか、
「遊ぼう!」
といえば、酒を呑みに行くことか、喫茶店でタバコを吸いながら雑な話か、古着を買いに行く…という認識になってしまっていたことに気がついた。

これは大人になったと言われたら少し照れくさくて嬉しい気もするが、子供心を失ったと言われれば悲しい。

でも、それでいいのだ。今の僕らにはそれが十分な""遊び""なんだ。
そう、高校生までの遊びの例で分かるように、前までは遊びといえば身体を動かすことが連想されていた。
でも今回気づいたのは身体を動かすからと言って遊びではないし、(ゲーム以外で)身体を動かしてないからと言って遊びと呼んじゃないけないわけじゃないんだ。脳が活発に喜んでいたらそれは遊びなんだ。

そして大人になり疎遠になった友達あるあるだが、その友達と会うのには毎回、口実みたいなのが必要なのだ。
前は何の理由もなく一緒にいて遊んでいたが、「○○するから会おう」のような理由とともにローコンテクストな会話を繰り広げる。それも少し寂しい。なんの理由もないけど会おうよ、遊ぼうよ。。

でも今回は特になんの理由も無かったけど「そろそろ会おう?」という具合で、栄養補給のような感覚で遊んだ。だから変に気持ちや時間を浪費しなかったし居心地が良かった。

こういうのでいいんだよ。こういうのがいいんだよ。

友達とは17時から会い、ラーメンを食べに行く。そして喫茶店に行き雑談をした。
しかし、その喫茶店が21時までだったため、店を出ざるを得なかった。いままでの僕だと「じゃあお開きかな…」と本音を押し潰してバイバイしていたと思う。しかし今回のこのゆったりとしたグルーブ感とリッチな時間を手放したくなかった。この久々のゆっくりと流れる時間を。
だから勇気を振り絞ってこう言った「まだ話し足りないな、もう少しいける?」
そうすると帰るムードだった雰囲気も一転。友達も「俺もそう思ってた」と言ってくれた。
本当に勇気を振り絞って良かった。

そして2店舗目、もちろん喫煙可能な喫茶店を探して足を運び、23時まで""遊んだ""。
楽しかった。あの頃の遊びとは匂いも後味も違う。
かといって僕にとっての遊びはその思い出の中に置いてきたつもりはない。
ここにある。

子供の頃の僕へ言いたい。それでいいんだよ。

そして今、人生、こういうのでいいんだよ。

おわり

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