最近、急に肌寒さを感じる。 そして気がつけば、 休職して3か月が経とうとしている。 まもなく学校に上がる子どもは、 徐々に社会性を身につけ、 人の心の動きについて、 いろいろ話すようになった。 そんな成長した子どもの姿を見ていると、 過ぎていった時間の大きさに気がつく。 でも、子どもの成長の瞬間みたいなものに ちゃんと向き合えていただろうか。 父親として誇れる背中を見せているだろうか。 休職期間中も優れない体調と闘いながら、 このままではいけないと責任感に駆られ、 必死
人の人格や本質というのは、自分より弱い立場の人と接する時に現れる。 わたしは自分の抱えた病のことを、家族とごく近しい人にしか話してこなかった。きっとわたしと同じような境遇にある人の多くは、病気の痛みや苦しみを一人では抱えきれず、素の自分を理解してくれてるであろう誰かにそっと話をしていると思う。 しかし、わたしはそのことで深く思い悩む経験をした。その心無い言葉を受けた時の感情が、今でも胸をえぐるように残っている。このときの経験がいわゆるトラウマのようになり、脳裏にすっかり潜
わたしは今でも、紙の本を購入する。 紙の手触りやインク匂い、本の佇まいが好きだし、それが手元にあると安心する。わりとシンプルな生活空間を好む方なのでリフォームを機に、写真と音楽はすべてデジタルに移行してスッキリしたが、本だけはいまだに電子書籍を利用したことがないし、今後利用する予定もない。 そう考える理由がある。 「将来、自分の子どもに資産として本を遺したい」 そんなことを考えている。 子どもとは血縁関係ではあるけど、人格はお互いまったく別である。わたしが小さかった頃とは
どんな病気でも、かかった人でないとわからない痛みや苦しみがあるというが、まったくその通りである。たとえ家族や友人でさえ、自分の病気のしんどさを理解してくれているとは限らない。 考えてみれば、当の本人でさえ、病気の痛みや苦しみというものを、これまでどの程度理解できていたのだろうか。 意気揚々と仕事していたところに突如として体調を崩し、坂道を転げ落ちるように病の淵に立たされ、ようやっとその痛みや苦しみは耐え難いということに、自分でも気付いたのかもしれない。 どんなことにも言
この夏、わたしはついに会社に行けなくなってしまった。 以前から、何かが大きく変わる予感みたいなものは感じていた。世の中が複雑になりすぎていて、自分のやることに手応えを感じにくくなっていたから。なので、いつか何かがトリガーとなり自分の体や心を蝕むのではないかという予感を抱えていた。 そして、春頃から体に起きた変調を感じはじめ、ついに先日、わたしは休職した。今思えばあっという間のことだった。 40歳を過ぎ、働き盛りといわれる年代のわたしにとって「休職」という言葉は、あまりに