たんじょびィ おめでと

また一つ歳をとった
まだまだ若いんですから、みたいな一言は浸っている人間に対して邪魔なのでお控えなすって

33歳になる
厳密に言えば1988年4月14日午前4時41分に
母が耐えてくれたので
これを書いている今はピチピチの32歳という事になる
数字が嫌いなのに、自分に纏わる数字だけは大事に抱えている
人付き合いもそうだ

割と本気で、自分は27歳で死ぬと思っていた
10代頭に想像を絶するイジメを経験して
躁鬱は日増しに酷くなって、コミュニケーションに難があるまま芸事の世界に身を置いて
この生活が続く訳がないと思っていた
とにかく20代の殆どが楽しくなかったのだ

加えてロックンロールに身を預けたのも起因する
10歳でTHE YELLOW MONKEY
「jaguar hard pain」に童貞を奪われ
中学でNIRVANAを知り、カート・コバーンにシンパシーを感じていた
「あ、この人は一緒や」
そんな事を考えながら授業を抜け出して、校庭の隅にあるゴミ捨て場に行き
MDウォークマンでイン・ユーテロを聴いている馬鹿だった

特別な人は母を失うとビートルズで知り
特別な人は27歳で死ぬと読んだ

母はピンピンしていたから、27clubに入る事だけを真面目に信じていた

養成所には18歳、高校卒業と同時に入った
周りは運転免許の合宿に勤しむ中、ナメられてはいけないと当時の相棒と公園でネタ合わせをしていた
程なくして在学中に二度の解散
一人になった時、ほとほと自分に呆れた
きっと自分は特別な人じゃないと思い始めた

する事がない、金がない
同期の住む安アパートに入り浸って
与太話に酒と誤魔化していた時、兄から一本の電話が入った

電話に出ると兄はいつもの調子で
「Rが亡くなった」
と告げた

兄は7つ上で、R君はそのまた一つ上だった
誕生日を迎える前だったか、27歳だったと思う
自殺だった

同期が馬鹿笑いを続けているのに腹が立って、
その足でみんなが集まるファミレスに行った
周りは大人で明日の葬儀の話を段取りして、ついていけなかった
何より実感が湧かなかった

R君は、もう一人の兄みたいな人だった
お笑いが好きで、集まりでもひょうきんに振る舞っては
少し年上なのを周りからイジられて
それでも大きな声で笑っていた
ブルーハーツが大好きで、カラオケでは決まって歌っていたが
とびきり音痴だったように思う

仕事が無かった当時は、自費でライブに参加する
所謂インディーズライブに出ていた
ノルマを気にして、兄が友達を連れて何度か遊びに来てくれた
そのうちに、R君が観に来てくれた時にはコンビの解散が殆ど決まっていた

廊下では売れない先輩たちが、この後呑みに連れてしけ込もうとしてるブスで溢れていた
退屈だなぁ、やっぱりここは自分のいる世界じゃない
そう思って突っ立っていると、廊下の向こうから兄一行が手を振っているのが見えた
恥ずかしい、大してウケてもいない

「尚平、すげーな!」
R君はカラオケで見せる時よりも大きな声で僕に言った
何が凄いのか分からないでいると、矢継ぎ早にさっきの漫才のハイライトを話している
ダウンタウンが大好きで、ただ最近のテレビはつまらないから離れていた
でも尚平の漫才を見て、松ちゃんを想起した
絶対に売れる
そんな話を恥ずかしげもなく、大声で続ける

「尚平のこと、一番に応援してたかもな」
兄が運転席でマルボロに火をつけた
明日の集合時間なんかを話してくれていたが、よく覚えていない

その時にはコンビを解散して、アルバイトも飛んで何も残っていなかった
実家の自室で、父が買ってくれた漫才スーツが掛けてあるのをボーッと眺めて寝れなかった

翌朝、会場に到着すると見慣れた顔が集まっていた
一番頭がおかしい兄の友人が、冬物の礼服を着て
「どうせ死ぬなら冬に死んでくれよ、暑い」
と言って皆でバカ笑いした

時間も近づいて、二重の自動扉を開ける
祭壇に飾られたR君の写真を見て、初めて全員が泣いた
R君のお母さんが、棺にしがみつきながら
「帰ってこい」
と何度も叫んでいた

兄が隣で
「これ見たら死なれへんな」
と呟いた
その時、兄も仕事が上手くいっていなかった
兄弟で呑んでいても、期待の出来ない将来に
お互い後ろ向きな考えを話すことが増えていた時だ

辛気臭いオルゴールが流れる中、それぞれが手を合わせる
昨日のファミレスでの取り決めで、それぞれが思い思いの品を棺に入れて見送ることになっていた
僕は、部屋に掛かっていたスーツから
ネクタイピンを持って来ていた
父が買ってくれた、初めてのネクタイピン

自分の番が回ってきた
青白い顔で横になっているR君に話しかけた

ごめん、やっぱり才能なかった
同じ奴と二回も解散してもうた
もっぺん音楽やろうか、何しようか分からんけど
とにかくもう、漫才は辞めるねん
一番面白いって言うてくれてありがとう
他の仕事、探してみるわ
また応援してね

枕元にネクタイピンを翳した時だった
R君のお兄さんの計らいで、オルゴールが
ブルーハーツに変わった
1stの一曲目「未来は僕らの手の中」だった

止めんといてくれよ
辞められへんやんか
辞めたいねん
そう頭の中で言って、僕はネクタイピンをポケットに仕舞った

R君は27歳で亡くなった
特別な人だった
僕を繋ぎ止めてくれた、特別な人だった

33歳になる
随分と退屈な会社で、飽きるのが嫌で
この才能を放り出すのが嫌で
思えば好き勝手にやってきた

家族はこの歳になるまで持てなかったが、
葬儀の三日後に連絡して来た二つ上のアホと続けて14年になる

今でも毎日、辞めたるわこんな会社と思う
でもたまに引き出しを開けて、あのネクタイピンを手に取って話しかける
また、踏み止まる言葉をくれる気がするから

とかは無い
そのネクタイピンは葬儀以降に失くして
気付いた時には親父が普通に使っていた

さて、R君
信じられへんやろうけど友達が増えて
そいつらにやらせたい本があってな
来年の3月まで死ねそうにないねん
せやから多分、34にはなると思う
また気が向いたら劇場に来て
ぼちぼちやってるわ

野村尚平

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