HF:1日目 【自分のせいじゃないと思いたい】 限定note part.2
《第1日目『聖書』 創世記2〜3章 『人類のあけぼの』4章、5章》
誰もが一度は耳にしたことがある、
アダムとエバの物語。
神様の言いつけをやぶり、サタンの主張を信じて
禁断の木の実を食べてしまう。
その結果、人は死ぬ運命に定められる。
しかし、
罪の結果である死はすぐには訪れなかった。
すぐに現れた罪の結果は、
「関係性の崩壊」だった。
見方によれば、崩壊した関係性の中に生き続けることは
死よりも苦しみが大きいと言える。
死よりも恐ろしいのは、崩壊した関係の中で生き続ける人生なのではないだろうか。死んだほうがマシと言いたいわけではない。
しかし、実際にサタンの狙いはそこにあったことが『人類のあけぼの』から見えてくる。
「サタンは、アダムとエバが、不従順のために、神の怒りを招くことを意図していた。 そして、彼らが許しを得ることができなければ、彼らは、いのちの木の実を食べて罪と悲惨に満ちた生活を永続することを、サタンは望んでいた。」
(『人類のあけぼの』4章)
愛と信頼で結ばれていた関係が壊れた瞬間、
最初の人類、最初の夫婦は
他者に責任をなすりつけ、責任逃れを試みるようになった
「この人が悪いんです。わたしは悪くない」
わたしは悪くない、と思いたい私たち。
責任逃れをしたいと思うのは、
自分が一番かわいい人間の性だろう。
でも、本来であれば
責任を人になすりつけるのではなくて、
自分の間違いは自分の間違いとして認めた上で
どうしたら現状を良くしていけるかと
考えていくことが求められているはず。
こういった理想は
ただの理想で、現実離れしていて現実的でない
と思う人もいると思う。
しかし、HFが提供するのは
理想とか現実とかよりも前の「原則」を学びたい人に向けた情報である。
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