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分からないなりに言葉を残してみる。

人に教える・伝えるってどういうことだろう。
先日、アーユルヴェーダという伝統医学療法について教えてもらう機会があった。
西洋医学や東洋医学とは異なり、病気が発症する前の段階が細かくあって、自分の身体と心に向き合いながら、今の自分の状態を理解し、それにあった生活法を試していく。
これはすごく奥が深くて、自分が落とし込めた部分は本当に一部しかない。だからこそ人に教えるっていうのが本当におこがましいと思うくらいだった。

たまたま友人にそれを伝える機会があって、初めて教えてもらった人の前で説明した。
これで間違ったことを広げてしまったらどうしよう。分からない部分は分からない伝えつつも、なんとか自分が理解できている部分で言葉を紡ぐ。わたし的には説明する機会があるなら練習させてくれ〜笑と内心思ってたけど、「その理解で大丈夫だよ!そして分からない部分を分からないと正直に言えることは良いことだよ(ニュアンスこんな感じだったはず)」と言ってくれた。恥ずかしかったけどとても嬉しかった。

その方の先生は口伝で学びを広げていると言っていた。口伝は本当にその領域に精通してる人でないと務まらない。私もそれくらいのめり込んで探求したいものが見つかるかなぁ。

そういえば、自分の話の約8割は誰かの受け売りだって聞いたことがある。わたしも今まさに人から聞いたことを書いている笑
けど、分からない事を自分なりに納得し落とし込むには、受け売りだけじゃ不十分で、そこから自分の思考回路につなげたり、身体で理解するのが必要なんじゃないかと思う。

わたしはだれかの意見に対して賛成や反対は言えるものの、自分の意見発信で発言するにはまだ思考が浅い。やっぱり意見を求められると、難しいなぁがまず先行して思考がほぼ止まっている笑。
概念について話すときも、自分がどう考えるかというより、その人こんなこと考えているんだすごいなっていう感じで聞いていた。

自然の暮らしの中で、いかに自分が退屈しのぎの為にメディアを利用しているかが分かった。
これまで音楽や映像、ラジオで埋まっていた情報の一部を、考えることに使っていきたい。分からないなりに考えたり、手を動かしてみることど見えてくることもあるはず!分からないことは人に聞いたり調べたりすればいい。そこから自分は何を考えるのか、客観的に向き合いたいなぁと思う。

こんな曖昧な内容でもnoteに書いていくことが思考する癖につながっていけば良いなと思ってこれから書いてみまーす

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