怒ったかんな
いつの間にか4月になり新年度を迎える。もう大学4年生になる。学生生活もこのまま順調にいけば残すところ1年である。寂しい気持ちが募る。
以前、所属する部活で卒業生の最後の姿を送るような会が行われた。今年は感染症の影響もあり、例年通りにはいかなかったものの、万全の感染予防対策をして式が開かれた。
卒業生のスピーチは正直少しグッとくるものがあった。卒業生自身も想いがあるようで、涙ぐんでるんじゃね?という場面もあった。
この場面を目の前で見ながら、自分はどうなるのだろうかと想像してみた。
つい泣いてしまうのか、笑ってごまかすのか、それともなんとも思わずスッと話して終わりなのだろうか。
自分ながら意外にも言葉に詰まってしまうのではないかと考えた。特に人前で大きく感情を出そうとはしていないため、恥ずかしさはあるが、そういうときこそ自然と感情が出たりするものなのだろう。
感情を表に出すのはいいのだろうか。考えてみた。
喜怒哀楽の感情で表に出すべきなのはまずどれだろうか。
①喜
周りの人に対してもいい影響。明るい印象がつき、純粋な感じがする。
②怒
めんどくさいと思われる。とっつきづらく周りを緊張させてしまう。
③哀
同情してもらえる。あとは上がるだけみたいなイメージ。
④楽
笑顔が絶えなくて、周りにいい影響。
ここまで書いてみると、自分は「怒」の感情に対してマイナスなイメージを多く持っていることが顕著にわかった。
本気で何かに対して「怒る」ことは意外と難しい。
怒るということは自分の言動に自信があるからである。自分が正しいと思えている、それと違う相手はおかしい、だから怒る、この手順が踏まれている。人に怒れないときは自分に何かが足りていないときなのではないか。
でも実際これだけが原因ではないという意見もありそうである。
「怒った後の関係性がめんどくさい」
「怒りをぶつけたところで何も生まない。合理的じゃない。」
「腹は立ってる、表に出さないだけ」
結局、自分の価値が低いと思っているから、怒りすらもぶつけられないのではないか。
誰かを怒ったあとも、自分の力でいくらでも関係は修復できるし。
何かを生む怒り方をする自信がないだけだし。
表に出さないで自分の中におさめることが迷惑をかけない方法だと思ってるし。
結局「怒」の感情を出せるのは自分のことを否定されたときではないか。
最近怒りを感じたのはある人に「効率が悪い」と言われたことだ。
なに自分が効率いいと勘違いしてるんだ、どの点が効率いいと感じてるのか、単純にお前に何がわかるんだと。同じ仕事量で同じ状態になったときに正しい判断できんのか?知った口聞いて一生懸命な人をそうやって片付けるのかと。
もちろんこんなことは直接言わない。だって効率が悪いことは自覚してたし、大したこともできていなかった。
でも、自分のことは相手には何もわかってないし、ましてや同じことをしていたわけではない。
とりあえず、断定して否定されたときにはそれに対して否定したいという怒りが出てくる。まあムキになっているだけではある。
怒りの感情を多く感じると、自分が目指す姿をうっすら感じることができる。今回のケースでは自分は「効率のいい人」を目指している。
最初の疑問であった、感情を表に出すことはいいことかというのは人とトキトバである。これは当たり前だ。
しかし、
怒っている人を見て、または怒ってみて、その人もしくは自分が何を理想としているのかがわかるようになる。
相手が怒るのが見えれば相手の理想に寄せることは安易だし、相手に自分が怒っているのを見せれば、相手に理想を伝えることになる。
怒ることは無意識の理想を追求すること。
どんどん怒りの感情を出していくのはいいかもしれない。誰がどんな姿を目指しているのかがわかってくる。
まあ、めんどくさいからやめてほしいけど。
自分の怒りポイントに気づけば、それを言語化すれば一件落着。
怒ったら「怒った!」って言えれば平和ですね。
それと、最後のときは堪らえようと思います。普通に。
※画像はイメージです。
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