見せるが信用
人間関係は難しいよな、悩んでいるんじゃないか、ありがたいことにnoteを読んでくれている人からいろいろな声をもらう。思いもよらない人に見てもらえていることに驚いている。自分の経験から内面を考えると重たい内容を扱うことになってしまう。痛くてつまらない文章でもかなわない、かな。
聞き上手を一番にしてはいけないと思った、という話を書く。
人の話を聞くのがうまい人はごまんといる。だから一番にしてはいけないのか。それもあるが、それだけではない。聞くを主体にしていると周りから求められなくなるからである。
自分もある種の聞き上手であると自負している。相手の話にしっかりと興味を持ち、適切な相槌を打ち、言葉の置き換えで話を引き出すことは得意である。言葉の置き換えは最上位で得意分野である。相手の言いたいことを数文字で置き換え、要点を抽象化する。私と話したことがあるなら感じたことがあるだろう。
あなたが「〜〜〜〜」と話したら、私が「あー、〜ってことね、なるほど」と言い、「そう!そういうこと」という展開。これが得意技である。すっと置き換えられる点、なかなかやるじゃん自分、と感じることもある。でもこれ別に頭いいアピールをしているわけではない。自分が理解できているか答え合わせをしているだけである。不快に感じている方がいたらすみません。
ただ、これで満足してしまっているところがある。面白い話が聞けた、まとまってたな、で終わってしまう。自分から発信しているように見えて、なにも生み出していない。こういう人はどんどん必要性が薄くなってくる。話を聞いてくれるだけなら誰でもできるから、なんならロボットでも。今ではロボットの方が聞き上手かもしれないが。
発信力がない人は、信用されていないと考えられやすい。「腹を割って話す=信頼の証」が現実である中、聞くだけの人は「腹を割って話すことができない=信頼されていない」となっている。友達もそうだが、仕事もそうなんだろう、金融業なんて信用をお金で買ってるとかいうもんな。情報を開示することで信用してもらう仕組み、まさに人間関係の基盤。見せれば信用、見せないなら不信。見せているフリがうまいだけの人もいるかもね。
まあ、人の話を聞くのが好き、自分のことを話すことが嫌いな場合は、正直誰からも求められないだろうな、という考えだ。
なぜ、自分のことを話すのが嫌いなのか。これは複雑な要因が絡んでいると考えられる。
・話下手
・自信がない
・面白いことがない
「話下手」は表現力の問題だから、時間をかけてじっくり付き合っていけば簡単に話せていく。聞き上手がいれば余裕だ。まあ、話下手は話を振られれば言葉を発することはできる。
「自信がない」「面白いことがない」。これは非常に似ている。相手が期待するような話も特にないし、それをうまく興味をもたせることはできない。
「話してる側がつまらなくても聞いてみたら面白いもんだよ」と信頼している人も言ってくれている。そう、だからなんだよなあ。まず面白いと思ってることが起きてないんだから、話の土台もできていないし、要素がない。「面白いもんだよ」の期待に応えられないところが目に見えているからというところもある。
ここまで読んだら、出てくる意見に今のうちに保険をかけるつもりで反発しておきたい。
「それを自意識過剰っていうんだよ」
「勝手に自分が面白いと思ってんじゃないよ」
あー、もうだから、話せてないんだろっていうこと。どんどん求められなくなる可能性はわかってるって。
またね、ここまで書くと更に出てくる次の意見。
「カマチョ、重いやつ、病んでるアピールするやつ」
どう捉えられてもいい。そう思うなら思ってもいい。
これでどうのこうの自分が変わるはずがない。今後もきっと自分のことをうまく伝えられずにうっすい人間関係と思われるかもしれない。
これだけは明示したいのだが、どこでも自分は変わっていないということだ。自分のことをよく知っているという人がいたら、出てきてほしいくらいだ。
あー、残念。
魅力的な人にはほど遠いのだろうな。
また次友人に会っても聞き役としてそこに座っている可能性が高い。
自己開示なんて知ったことか!ばか!わかられてたまるか。
文章にしまりがないので、きれいな一言でしめたい。
2020年ありがとうございました。
※画像はイメージです。
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