分析に全振り

2月も半ばを過ぎ、3月の情報解禁まで日数も少なく、そろそろ焦りが出てきた時期ではないでしょうか。自分の未来が決まる半年になるのではないだろうか。

少し受験期のことを思い出す。受験勉強に本腰を入れられたのは高校3年生の夏。そこから入試までの半年間、この期間頑張れなかったら、将来一生頑張ることはできないのだろうなと感じながら勉強をしていた。自分なりの100%を目指して、100%できることをやってきた。その結果、思い通りにはならなかった。自分の100%は大したことないんだろうなと察した半年だった。

今回の就職活動も意気込みは同じである。この数カ月、自分なりに100%出し切れなかったら、将来一生全力で取り組むことはできないのだろうな、と。

この調子だと全くうまくいきそうもないので、程々に肩の力抜いてやっていきます。

結局大学受験も就職活動も将来何をやりたいか、何になりたいかをベースで考えていく。なんのために勉強して、なんのために就職するのか、その根本を考えていかなければならない。

未来を考えるにあたって、過去を分析するしか他ない。スポーツを10年間以上やってきた人と勉強ばっかやってきた人とは過去が違う。勉強ばっかの人がもしスポーツをやっていたら、なんて考えてはいけない。過去を仮定して現在を推測することほどナンセンスなものはない。結局は今の知識・感覚をもとに推測するのだから過去の仮定から得られる推測とは全く異なってしまう。
だから、実際にあったことを分析するしかない。

これは文系、理系というものに関連があるのかもしれないが、私は文系だから(言い訳として)分析する力が圧倒的に不足していると感じている。

現在自分が所属する組織でどの位置づけにいるのか考えたことはあるか。役職を持っている場合はわかりやすいのだが、ない場合はどうだろうか。
自分が周りから求められている行動、自分がしたい行動、この2つを分析できているのだろうか。単純な例で言えば、人が集まる会議で、周りとしては積極的に発言してほしい、自分としては議題に詳しいから話したいと分析できたとする。そうすればもちろん発言をし、議論を有効に進められるようにするだろう。

しかし、そうでない場合、もし読んでいる人がいたら、あなたはどちらを選択するだろうか。

周りは意見を求めていない。進行の段取りが決まっているから発言はそんなに求めていない

自分は意見があり、積極的に話したい。会議なんだから言ってもいいだろう。


分析ができていたらベストな選択ができるのだろうか。自分の分析しかできなかった場合、勝手に話し始めてしまうのではないか。また雰囲気の分析しかできていない場合、しゅんとして何も話さないのだろうか。
ここで「もし」だが、自分、雰囲気の分析ができていたら、どんな行動を起こすだろうか。

この「もし」に答えるためには、自分の過去の分析をしていなければならない。

今の現状を分析して、行動を決めるために過去の分析をして、その後行動結果を分析して、この繰り返しでうまく生きている。のではないだろうか。

ほぼ無意識に行っているこの分析。それを言語化しなければいけない就職活動。

難しいことをやっているようで、実は大して難しいことはしていないのかもしれない。想像を働かせてこうなった場合は自分だったらどうする?をすべて推測しろというわけではない。似たような環境にいる人と比較して自分特有の分析結果を出せば、分析の癖が出てくる。


分析はこれまで勉強をしてきた癖があれば、自然とできるのではないだろうか。授業でわからないところを分析、テストでできなかったところを分析。分析に慣れるために勉強は必要なのではないか。

就職活動を通じて、勉強という行為の大切さを痛感している気がする。

学歴がどうこう嘆いている人はどうしようもない。大事なのは勉強をしてきたかどうかだと考える。
今の自分ができていなくても、社会人になって勉強しなければいけないことは多い。悩みながら勉強する経験が絶対に必要だ、と私は経験から語る。

この文章を分析してみるといい。

実際のところ、内容はほとんどないと思う。でも内容があると感じる人もいるだろう。

あくまでも自分の分析結果として積み上げていってほしい。

自分の目指す成功に向けて分析思考を続けていきたい。


※画像はイメージです。

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