『気持ちの名前』の育み方🌱🌱
ニュースで知らされる日々の感染者数に、その感覚が少し麻痺しつつある感が否めないコロナを意識しつつも、3年ぶりに行動制限のない今年の夏、みなさんそれぞれが考えられた時間を有意義に過ごしていらっしゃることと思います。nonoはと言えば、コロナには関係なく、今年は子どもたちの帰省時期が8月前後にずれたため、巣立ってから初めてなんじゃないかなの2人と1匹のお盆を迎えています。
そんな今日は、折にふれ気になっていた「ありがとう」「ごめんなさい」について少し綴ってみようと思います。
やっと言葉を発するようになった子どもとそのパパママに触れる機会がある時のこと(機会がなくても半径3メートル以内に小さな子どもがいると、マスク越しに満面の笑みを携えつつ、ついついガン見してしまっているのですが・笑)。子どもが、何かもらった時、何かしてもらった時、すかさずパパママが、「ありがとうは?」「ありがとうでしょう!」と子どもに言ってるのがちょい気になるnonoです。同じように、子どもが、何かいけないことをした時、「ごめんなさいは?」「ごめんなさいでしょ!」「ごめんなさいするまで絶対ダメだからね!!!」など子どもに言っているのがかなり気になるnonoです。パパママから「〇〇ちゃん、何て言うの?」と問われた子どもが、何かしてもらった時に「ごめんなさい」、何かいけないことをした時に「ありがとう」など言おうものなら、不謹慎ではありますが、「子どもの勝ち~~~」とクスッとしてしまうnonoです。
やっと言葉を発するようになった子どもに、たくさんの言葉を育んでいきたい、というパパママの気もちは良~くわかります。食べ物の名前、動物の名前、乗り物の名前、色の名前など、『物の名前』は、つどつど繰り返し伝えてあげる!でOKだと思うのですが「ありがとう」や「ごめんなさい」のように『気持ちの名前』は、まずパパママが自分事として、感情表情たっぷり添えて繰り返し発してあげる!(子どもと横並びで!子どもの目線で!)からじゃないのかなと思っています。子どもたちは、何度か、何度も、その経験を重ね、その時々の自分の気もちとその時発すべき言葉が少しずつ結びつき、本当の意味で『心情を伴った言葉=気持ちの名前』が育まれていくんじゃないのかなと考えています。
少なくとも、今ここで我が子が「ありがとう(ごめんなさい)」言えれば、「ちゃんとありがとう(ごめんなさい)言えたね」と子どもは褒めてもらえるかな?それって、そう言える子に育ててるパパママも褒めてもらってることと同じかも!的な親満足を得るためだけの「ありがとうは?」「ごめんなさいは?」「〇〇ちゃん、何て言うの?」という『気持ちの名前』の育み方だけはなされないことを心底願っています。
子どもたちの心の中から湧きでてくる、キラキラ輝く「ありがとう」「ごめんなさい」。「来春、出会えるよ〜」の一報が入った5人目のチビちゃんにも伝えていくぞ〜と今から意気込んでいるnonoです(気、早っ)。