『どうしようもある』もの_戦争

今回は、何について記そうと、ここ数日思いを巡らせていましたが、やっぱり「ここを避けては」「ここを飛び越しては」次に進めない自分がいることを自覚しましたので、「ここ」について記そうと思います。

「ここ」=「戦争」

nonoは、子どもが大好きなただのおばさん(おばさんとおばあさんの真ん中)ですので、今おきている戦争については、ニュースやワイドショーレベルでの情報しか持ち合わせておらず、深いところでの見識があるわけではありませんので、一概にどちらがどうということは控えたいと思いますが、ただただ「悲しすぎる」の一言のみです。

先日、就学前と思われる男の子が、地下シェルターで膝を抱えて座り込み、泣きながら、「死にたくない」「生きたい」と言っている映像を見て、胸がしめつけられる思いがしました。なぜ、こんなに小さな子どもが、こんな思いをして、こんな言葉を発さなくてはいけないのか…。

日本に限らずだとは思いますが(思いたいですが)、就学前までの子どもたちは、その生活のなかのあらゆる場面で、時間をかけて少しずつ、「命」の大切さを学んでいかなければならないはず!「命」の大切さを学んでいっているはず!にも関わらず、そのような時期に、このような状況で、大人たちは子どもたちに、それをどう教えれば良いのでしょうか??「悲しすぎる」を通り越して「怒り」すら覚えます。

先日の地震を含めた自然災害など人間の手では『どうしようもない』ものもあります。が、人間同士が傷つけ合い、子どもたちが巻き込まれ、有形無形の修復困難な傷跡だけを残す戦争は、人間の手によってしか始まらないもの。ということは、人間の手で『どうしようもある』もの。始めなければいい!始めちゃいけない!です。でも、始まってしまった以上、人間の手によってしか終わらせられない。逆を言えば、人間の手によって終わらせることができる!終わらせなきゃいけない!ですよね。

どうか、終わらせることができる方々、地下シェルターで膝を抱えて座り込み、泣きながら、「死にたくない」「生きたい」と言っていた男の子を、自分の子ども、自分の孫、いやまず自分自身に置き換え、今のこの状況をもう一度考えてください。これ以上同じような思いをする子どもたちが増えないことだけを、ただただ願い、毎日毎日祈っています!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?