6月20日(火)

日記とはいえ、ただ日常のことを淡々と書くだけでは代わり映えせんやろうと思い、
今日知った言葉などを記録する場にもしようかなと思います。

「茶之湯はろく二なく候ては悪敷候、たてなる事悪敷候」
【大意】茶の湯はろくでなければよくない、だて(伊達)な事は悪いものである。
江岑宗左の聞書き『逢源斎書』(ほうげんさいしょ)に見えることばで、茶の湯の心構えについて述べたものです。
「ろく」とはまっすぐでゆがみがないことです。「だて(伊達)」は人目を引くような派手なことを言います。

https://www.omotesenke.jp/chanoyu/7_2_30a.html

私は卒業論文で茶の湯に関することを扱おうと思っているのですが、
表千家不審庵のホームページをぽちぽち探索していたところ
上記の言葉に出会いました。

よく「ろくでなし」やら「ろくなことがない」という言葉を聞きますが、
そういえば「ろく」って一体なんなのか、考えたことなかったなぁと。
「まっすぐでゆがみがないこと」だそうです。

ちょっと調べると「ろく」は「陸」と書いていたそうで、
「土地が平らなことから、物や性格がまっすぐなさまを意味する言葉」だそう。
じゃあ名前に「陸(りく)」がついている人は、大地的な要素だけでなく
「直(なお)」みたいなニュアンスもあるのかな。とかも思ってみたり。

「ろく」と対照的な言葉として挙げられているのが「だて」なのもちょっと面白いですよね。
「人目を引くような派手なこと」にはちょっとひねくれが入るのだろうか。
たしかに「人から見られている」という感覚はしばしば自意識を歪めますよね。

ちなみにこの言葉を記した江岑宗左とは、千利休のひ孫にあたる方です。
千利休は自分の教えを文字にして残さなかったため、
江岑宗左はかろうじて利休と直接会話した記憶の残る3代目元伯宗旦(利休の孫)から話を聞くなどして
知り得たことを後世のために記録していたのでした。
なので江岑宗左が記している茶の湯の心構えは、利休の目指した茶の湯にかなり忠実であるとされているようです。

今後自分のふるまいを省みるときに「これは『ろく』か?『だて』か?」と考えてしまいそうです。
そのうち「ろくい」とか「だてってた」とか言うてるかもしれません。
言葉ってやっぱ知ってる方が面白いな、と思いました。


こういうアウトプットを毎日やってたらすごい博識になりそうやな!
面白いうちは続けてみようと思います。


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