私、私、私!

高校二年生になって半年ほどが経過し、つい先日誕生日を迎えました。ハチャメチャに鬱だった中一時代からもう四年も経つと思うと目が回るような思いです。高校二年生になった私は何をしているのかと言いますと、この頃になってやっと空っぽのカレンダーにいくつかの予定が入ることの喜びを覚えました。何もしていないとネガティブになってくるので適度に外出しているのですが、どうも私は自分にとって十分な外出の頻度をまだ掴みきれていない(知る気もないのかもしれない)ので、何か予定を入れてわくわくすることで日々を過ごしています。最近何をしているかと言われると目線を泳がせて勉強と言うしか無かった私ですが、最近は様々なことを伝えられるようになりました。ずっと毛嫌いしていた勉強に少し手を付けたら、ほんの少し、泣いてしまうまでのつもりが一時間も続いていて驚きました。こんな私のファンだと言ってくださる方に歌を聴いてもらって褒めてもらえました。大好きな推しの誕生日に手紙を書こうと思い立ち、大幅に遅れてお渡しさせていただいたのですがとても喜んでくれました。嬉しい!といった旨の言葉も頂き、私もとっても嬉しい限りです。誕生日を迎えたこともあり、可愛い服を買って、プレゼントを貰って、今日は友達と出かけました。挑戦することが沢山あった近頃なのですが、それをしてよかったと思える結果に落ち着いていて、とても嬉しい気持ちです。
この数日間、ずっと平均的に気分が上向きでした。だから今までがどんな状況だったのか改めて考え直すことができて、気づいたことがいくつかあります。備忘録のために残しておこうと思います。

この数週間で私が幸せを感じたことは、どれも褒められたことや、楽しさを感じられたこと、私にとって嬉しいものが物質的に残るものであったことが多かったと思います。怒られてしまうかもしれませんが、私はどこまでも目立ちたがり屋で褒められたがりで典型的な褒められて伸びるタイプなのだろうな、と思いました。とても怖い場所も頑張るから応援して!とお願いしてそれで答えてくれる人がいた事で頑張れましたし、怖々としていたお手紙も今までずっと暖かく接してくれた推しの功績があって無事投稿することが出来ました。それはとても嬉しく、そしてずるいことに、私はもっともっと褒められたいと思っています。今の状態が今の状態なので調子に乗っているのかもしれませんが、人に視線を向けられることがあまり怖くなくなってきました。褒められるチャンスだ、と好意的に捉えることができるようになってきたのです。なんなら私のことを面白がってくれる、私を「推し」にしてくれる人がいるかもしれないと思えます。根本的な欲求はずっとそこです。褒められたい。もっと褒められたい。好きなことして、楽しいことして、もっともっと楽しいことして、皆と沢山遊んで、それで褒めてもらって。誰かの推しになりたいんです。名前を口ずさむだけで少し安心するような、嬉しくなるような存在になりたい。私自身がオタクなので、オタクの思考はよく分かります。推しのことが大好きで、ずっと応援したいと思うほど毎秒惚れ直していて、ギャップも幼さも思考回路も全部好きで、もっとたくさんのことを知りたくて、ずっとドキドキしている。もしかしたらに過ぎないような可能性のことをずっと考えていられて、推しが生きるところを、そして夢を叶えるところを見たい。
私はオタクです。だけど、オタクで終わりたくないです。好きなものがいっぱいあって、それはオタク仲間と共有するにはあまりにも多すぎるし大きすぎます。私の退屈や私の熱量はたった1人で抱えられないので、誰かに付き合ってもらう必要があって、それが配信業に繋がっています。
私の性格は本来明るくなくて、映えるかと言われたらそうでも無いですし、向いてない理由はいくらでもあります。一番簡単で重いところで言うと発信が苦手とか。でも、私は発信したいです。みんなと遊んで褒められたい。楽しいことをしたい。ずっとこれです。最終的にはいつもこれです。だから、従うことにします。楽しそうだからと選んで今があるので、これからの選択をそうやって選んでも、きっと変わらないでしょう。
沢山楽しみます。頑張ります。よろしくお願いします。




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