続き③
小学中学年になる頃両親の様子がおかしくなり始めた。2人してパチンコにのめり込み、仕事はしていたが仕事終わると毎日のようにパチンコに入り浸るようになった。私は喘息持ちもあったので季節の変わり目には体調を崩していた。吸入器は使っていたが、無くなると母ではなく次女の伯母に頼んでいた。母に言っても貰ってきてはくれなかったし、伯母のほうが確実だったからだ。薬代は養父が払っていた。パチンコ漬けになって養父も最初のうちはご飯を作ってからパチンコに行っていたが次第にそれもなくなり食材がある時は自分で作ったりしていたし、洗濯も掃除も自分でやっていた。でもパチンコにお金を注ぎ込むようになった両親は負ける事の方が多くなり、我が家は段々貧乏になっていく、、、食材を買うお金も洗濯の洗剤を買うお金も光熱費も無くなっていく。食べれない日が続いて氷を舐めて空腹をしのぐ事なんてしょっちゅうで学校に行けば給食が出るけどほとんど食事をとってない日が続いて学校まで行く途中で倒れた。気がついたら病院で点滴されていた。″栄養失調″だった。そりゃそうだろう。氷しか舐めてなかったのだから、、、
今の時代だったら即虐待で通報レベルなのに当時は虐待の概念がなかった。それでも両親はパチンコをやめなかった。やめれない状態まできていた。借金までするようになり養父は食材だけは買っておくようになった。でも学校の給食費や教材費、修学旅行の積み立て費など滞納していたらしく、洗濯も間に合ってない状況、お風呂も毎日は入れなくていじめに遭うようになった。無視は当然日常的にあったし、机にはぞうきん、落書き、上靴は隠されたり水につけられたり先生たちも見て見ぬふり。小学6年の修学旅行、私は行けなかった。修学旅行だけじゃない。遠足もお弁当を作ってもらえず、自分で作ろうともしたけど前の日に体調崩したりと運動会もほぼほぼ参加してない、、、勉強も先生が黒板に書いていくものをノートに写すのが精一杯で蛍光灯の光太陽の光、それに反射してノートが見えない、風に揺れる張り紙の音いろんな事が気になって全然集中できない。どんどんついていけず成績は落ちていく。テストの点が悪いと母は罵倒し、自分は好き勝手して自分だけ見なりはキレイにし、いつも派手な化粧に派手な服。養父も次第にパチンコから飲み歩くようになり毒母の私に対する虐待は酷くなっていく
つづく
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