日記じゃないやつ

・私は、人から勧められたものに対して興味を示すことが極端に少ない人間だ。なるべく自分がお金や時間をかけたいと思うものは自分で見つけたいと思う。

・何かしらを信仰している人たちに対して特に特別な感情はない。信仰が人を救うのは人の世の常だから。しかし、こちらに勧めてこられると話は別である。多くの宗教団体は「人に教えを広めることを良しとする」というような教義を含んでいるように感じる。特に強い信仰心がない私からすると、団体の永続のための経済的な柱としての文言のようにしか思えない。

・以前に新興宗教の勧誘を受けたことがあるが、いまいちピンと来なかった。世の中に信じられるものなんて自分くらいしか無いだろうと思っているから。何なら自分すら信じられない時だってある。

・私にも好きな事物があるが、人に勧めることもあまり無い。好きな事物を勧めた時に否定的な意見を言われてこちらが気分を害することがあると嫌だからだ。今までそのようなことを星の数ほど経験してきたので、自分からそんなことの種蒔きをしない。私のようなファンがコンテンツの寿命を縮めるのだろうか。

・…人が好きだから勧めていると分かりながら否定的な意見を示す方が悪くないか?しかしそういうことを言える人は大抵悪気なく言うのでタチが悪い。悪気なく悪いことを言う人は本当に恐ろしい。

・私が好きなアーティストのファンはすぐに「新参ファン叩き」をする人たちが多いように感じる。来る者拒み。アーティストの特性上、一過性のファンや、他アーティストへの流出が多いという点で来る者拒むファン層が存在するのは痛手である。

・難しい話全部SNSのせいにされがち問題はあるが、この話もそういう着地点に到達する気がする。誰でも情報発信できる時代だからこそ、誰とでも簡単に繋がれる、繋がれてしまうことでファンの結束力というか暗黙の了解が通用する空間が生まれてしまう。内輪ノリが深まっていけばいくほど、新鮮な空気が入らずその場の空気が死んでいく。そういう構図は私の好きなアーティストのファン層以外の場面でも言えるんだろうな。

・長ったらしく難しそうで難しくない、内容が無い話をしたけど、特にオチは無いです。

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