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高野智史六段【将棋のこと】

私は将棋を観るのが好きだ。
そして山崎八段ファンです。

高野智史六段のことを書こうと思うと、ここで前フリをダラダラ書いているのも嫌になります。高野六段のことというか、高野六段の新人王表彰式でのスピーチのこと。あの有名なスピーチのことです。もう私の駄文なんかどっかに追いやって、スピーチ全文を引用で載せて終わりたい。あれは本当に名スピーチです。

今でも一部抜粋のものはABEMAの記事で読めるようですが、私が最初に目にしたものは、もっと長かったように思います。当時の記事だったのか図書館で借りた本だったのか。本を買わずに済まそうとするからこういうことになるという自業自得は置いといて、やっぱり全文がいいです。抜粋でももちろん名文ですが、全文の長さの方が高野六段が悩まれていた期間の長さが実感として感じ取れるように思います。その実感を持ったうえで聞く、ようやくたどり着けた木村師匠への感謝の言葉が、凄くシンプルなのに心に響いてくるんです。ただ「有難うございます」と言うだけなのに、こんなにも悩んで、こんなにも時間が掛かって、どれだけ師匠への有難みを真剣に思い考えていたんだと。

私、高野六段が語られたような苦しみに弱いんです。
特に大きな障害があった訳ではなく、誰かに邪魔をされた訳でもない。日々、真面目に努力して周りも優しい人達に囲まれているはずなのに、ちょっとずつ苦しい。思いっきり順調ならば無視できたはずの曖昧なことが、少しの行き詰まりで顔を出してきて、またそれを曖昧にしておくことで、やっぱりちょっとずつ苦しい。そうなってくると、周りの人達が優しかったり、環境が良いことが逆に辛くなる。そのせいでまた自分を責めては苦しみが増してくる。一つ一つは些細なことで自分で向き合っていくしかない事柄。それが長い年月をかけて積もり積もってしまったものだから、人に相談しようにも気持ちを説明するのだけで難しい。何かのせいにも出来なければ、吐き出すことさえ出来ない。全ては自分と向き合うしかない苦しみ。特に悪いことをした訳でもないのに、その時その時の在り様を今更になって向き合わされて、解決の糸口さえ見えずにがんじがらめ。

結局こういう悩みって、スコーンと結果が出るより他に解放されないんですよね。なので、高野六段に新人王という大きな結果が出たこと、結果以上に良かったと思います。またそれが、師匠の木村九段の永年の悲願が成就した時期と重なって、思いを伝えるのに絶好の機会と盤上で語らうに格好の舞台に恵まれたこと、素敵な巡り合わせになったもんだと将棋の神様の存在を少しだけ信じたくなるような出来事でした。

記念対局の師弟対決は、高野六段が勝ちました。
念願のタイトルを奪取した後で、あれほどまでに永年の感謝をスピーチで盤上でと語ってこられては、さすがの木村九段も戦闘意欲が湧きませんよね。木村九段が緩めたとは決して思いませんが、対局中のお顔はいつもより緩んでいたように思います。「対局で師匠に勝って恩を返すな。」と言う師匠は多いですが、あの対局に限っては最高の恩返しだったと思います。

高野六段はいつまでも手の届かない偉大な師匠を望んでいるようですが、師匠の気持ちはこれ如何に。木村九段はまだまだ健在なので、次なる恩返しだけでも結構な道のり。そのうえ本当の恩返しは「師匠を倒してきた棋士に勝つこと」らしいですから、羽生永世七冠でしょー、渡辺名人でしょー、藤井五冠でしょー… 師匠がタイトル挑戦し過ぎで凄いラインナップです。
とてつもなく大変そうではありますが、偉大な師匠への恩返しですので、高野六段、頑張ってください!

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