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阿久津主税八段【将棋のこと】

私は将棋を観るのが好きだ。
そして山崎八段ファンです。

山崎八段と言えば「西の王子」。私がファンになった頃にはすでに下火になっていたあだ名ですが、対して「東の王子」と言われていたのが阿久津主税八段でした。端正な顔立ちに似合わぬ軽妙な語り口。気取った様子もなくて飄々としながらも、時より真剣な匂いを醸し出す王子と言うよりはむしろ…

そんな阿久津八段は電王戦ファイナルの大将でした。いわばコンピュータソフトとの三年に渡る団体戦の総大将。そして伝説のAWAKEとの21手で幕を降ろす訳です。当時電王戦に夢中だった私は関連する企画番組も積極的に観ていました。当然、電王戦前の目玉企画「AWAKEに勝ったら100万円」で嵌め手と言われた角取り作戦を披露して見事勝利を収めたアマチュア強豪の対局もリアルタイムで観ていました。この作戦をプロである阿久津八段が採用するかどうかが戦前からの話題となり、この最終局の最大の関心事となっていたと思います。

私の予想は「採用しない」の一択でした。
その理由はAWAKE開発者が理想としていた「プロ棋士がアマチュアの見つけた嵌め手を指すとは思えない。」とか「正々堂々と勝負するのがプロだ。」といった崇高な考えではなく、単にプロ棋士としてのデメリットが大き過ぎると思っていたからです。阿久津八段の今後に影を落としかねない、そこまでして採用すべき作戦だとは思いませんでした。

企画のその後には同じ作戦で挑むアマ強豪がたくさん現れました。その全てが逆転を喰らい逃げ切っての勝利は最初の一人だけでした。もちろんアマ強豪と阿久津八段を同列に並べることは出来ません。とはいえ企画のAWAKEと本番のAWAKEも同じものではありませんでした。ご存知の方も多いとは思いますが、企画と本番の仕様は違っていてソフトは同じでもハードが違いました。それがどれほどの棋力差を生むのかまでは正確には知り得ませんが、本番のAWAKEは企画のそれとは別物として考えるべき強さがあるという説明だったと記憶しています。であれば阿久津八段とて勝ち切れない可能性が出てくると私は思いました。「角取り」とは言いますが正確には「角銀交換」になるだけの作戦です。その程度の駒得の為に、序盤を自らの棋風とは違う局面へと誘導する。もしAWAKEが違う手を選んだら、指し慣れない局面だけを残して勝負を続ける羽目になります。功を奏して駒得を得たとしても、複雑な中終盤をひたすらにリードを守り続ける神経戦に突入して勝ち切らなければなりません。嵌め手を採用した棋士として見られながらも、普段の自分とは違う棋風・局面で戦うことを強いられることになります。

アマチュアが一人でも成功した嵌め手をプロが採用したならば、絶対に負けは許されません。ハード云々なんてもはや関係なく、同列に見られてしまうことは必至です。負けたら最後、阿久津八段の失うものはとてつもなかったと想像します。でも、必ず勝ち切れるほどの優位なリードかと言えば、私にはそうは思えなかった。そのくらい当時のAWAKEの強さは脅威的でした。だったら採用しなければいい。嵌め手をしないという大義名分は立ちましたし、真向勝負ならばソフトに分があるいう認識も既に出来上がっていた時代です。負けても正々堂々と戦ったという栄誉、勝てば真の英雄、採用しないの一択だと思って観ていました。

しかし阿久津八段は採用します。勝つ確率を上げるだけのメリットしかない作戦に自分の棋士ブランドを賭そうとも一直線に突き進んでいく。

開発者がまさかの投了を告げた瞬間、会場はどよめきましたが私はホッとしました。この後は指さなくていいんだと、これで阿久津八段の今後も保たれると。正直に言えば、21手の後の展開を観てみたかった気持ちはあります。でも、胃が痛くて観れなかったかもしれません。単なる傍観者でも胃が痛くなることを当事者がよく選んだな思いました。非常に苦悩をされたようですが、最終的には採用する覚悟を決めたと阿久津八段は言います、それが勝つ為ならばと。

これは棋士の本能でしょうか?それとも阿久津八段だからでしょうか?
私は阿久津八段だからだと思います。そんな匂いのする棋士です。自分の損得じゃない、人からの見え方でもない、任された勝負に勝つことだけを矜持とした棋士の総大将。

時代錯誤な表現になりますが、阿久津八段は王子ではなく漢なんです。そんな漢気ある勝負をまだまだ見せてもらいたいと思います。エントリートーナメントは惜しかったなぁ…。昨年の苦渋を噛み締めて決勝まで勝ち上がってきた時には歓喜しました。決勝は不利になるも決して諦めない。端正な顔が苦戦にに歪む。なりふり構わず勝ちだけを求める阿久津八段は、やっぱり漢前で見惚れてしまいます。


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