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畠山鎮八段【将棋のこと】

私は将棋を観るのが好きだ。
そして山崎八段ファンです。

山崎八段と言えば「西の王子」
私が観始めた10年前の時点で、すでにそのあだ名では呼ばれなくなってきていましたが、代わりに現れた「新・西の王子」が斎藤慎太郎八段でした。
ファンにあるまじき言葉ですが、山崎八段に王子の称号は少々荷が重かったと思っています。ご本人もその自覚がある様子ですし、そもそも王子的な
魅力とは違う魅力で溢れかえっている棋士ですから。

そんな重荷を軽々と担ぎ、颯爽と引き継いだのが斎藤八段。
優しい笑顔にはんなり口調、全方面への気配りを忘れず、最善コメントで
評価値を上げる、新王子にして真の王子。
そんな好青年が幼少の頃に、追って慕って弟子入りしたのが畠山鎮八段。
斎藤八段が好青年なのはご本人の資質と思いますが、元の資質はそのままに、今や名人に挑戦する勝負師にまで育て上げた師匠こそ畠山八段。
この師弟の関係が凄く好きなんです。

特に好きなのが弟子の斎藤八段が、当時五段で電王戦に出た時の師弟対談。
「日光を浴びなあかんで」と長閑な公園で言う畠山師匠が忘れられない。
将棋のことは一人前と認めてほとんど触れず、ただ身体のことばかりを親身に心配したあと、早起きしての日光浴を奨める。
「籠ると落ち込むから、朝日は浴びた方がいいよ」
論理的ゲームの象徴のような将棋を極めたプロ棋士が、大舞台を前にした
若き弟子に人間の感覚の基本で本質のようなことを穏やかに奨める。
実子がいないと言う師匠の慈愛に満ちた口調が、すごく良いんです。
息子ではないけど息子、優しくて、温かくて。
「前にも言っていただいたのにさぼり気味で・・・」と頷いて聞き入れる
弟子も素直で、おじさんになってから見返すとなお良い。

今でこそ当たり前のように将棋界にコンピューターソフトの存在がありますが、当時はまだまだ先行きが不透明で繊細な頃と記憶してます。ソフトとの勝敗はもちろん、ソフトに対する認識、それに伴う発言、この先にどういう結論があって、将棋そのものや棋士の存在がどのように変わってゆくのか、どうして行くべきなのか、皆が手探りで、個々に模索して、それゆえ悩みの多い神経質な時期だったと思っています。
そういった時期の異質な恐怖と不安、心理と心情、どのように見守るべきで、どこまで介入するべきか、師匠としての様々な苦悩と葛藤を押し含めて集約した唯一でシンプルな助言。
「日光を浴びなあかんで」

自身の降級が原因で昇級してくる弟子と戦えない順位戦。落ちたクラスで
奮戦し、1期の勝ち上がりで鬼の棲み処へ舞い戻ってきた不屈の師匠。
昇級候補の愛弟子に壁となるべく戻ってきたと、相対しては鬼の形相。
本気の厳しさで立ち塞がり、2度もぶっ倒す不倒の師匠。

その弟子とチームを組んでのアベマ師弟トーナメントで今年優勝。
思いもしないことで、涙も出ないと平静を装ってはみたものの
「私は優勝といったものに縁のない棋士人生だと思っていましたので、
本当に斎藤八段のおかげですね。斎藤君に、うんっ、感謝したいです。
いやもう何が何だか、・・・わからなくて、・・・&%$#”!&%$#”!
本当に、&%$#”!&%$#”!、すみません、&%$#”!」
込み上げてしまってからは涙が止まらず、後半は言葉にならない畠山師匠。

畠山八段の経歴から年齢、今のクラスを顧みると色々と感じ入る涙でした。プロ棋士なんて皆天才だろうに、タイトルの獲得や棋戦優勝を経験する棋士はその中の一握り。自分は天才の中の天才ではなかったのだと悟らざるえなかった棋士の、それでも戦い続けていく日々の思いは、私のような凡人には想像することさえ失礼なことに思います。

でも、あえて言いたい。
あの弟子のおかげでの優勝ならば、この師匠のおかげでの優勝です。

これからもタイトルを獲得しうるであろう斎藤八段に、勢いがあって
生きのいい黒田尭之五段も控えています。

畠山鎮八段の棋士人生に、優勝との縁は、間違いなくあります。

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