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Record.8

久方ぶりにIRIKOのライブハウスでのライブが決まりました。有難い事に売り切れとの事。

色々と書きたい事はあれど書いてないので多分そんなに書きたいとも思ってなかったのだろう。こちらも久しぶりの更新。皆さんお元気してましたか?今日は少し長くなるかも。。。

MO'SOME TONBENDERのイサムさんが動画をあげてて正直たまらんやったので、リツイートした後に「たまらん。たまらん。」とツイートした。本当は引用リツイートで呟くか10分は悩んだけどそこは諸先輩がたの前ではいつまでも憧れ小僧ですので。。。※イサムさんイイねありがとうございます。

たまらんなったので昔話を。

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数年前。少し前の話。IRIKOメンバーで話しをした「ライブでどっちでも良いはもう辞めようか」っと。ライブは好きに見て貰うものだ。ゆっくり聞き入る人。大声をあげ拳を上げる人。後ろで手を組み大物プロデューサーみたいに見る人。色んな人が色んな見方で見ていてそれぞれを楽しんでた。音楽は自由だと。ただもう飽きた。それにもう飽きたのだ。好きに見てもらう事に変わりはない。ただ僕達が憧れたライブハウスはそうでは無かったとふと思い出した。


十数年前。だいぶ前の話。Baの山田から借りたモーサムのDVD。部屋にまだテレビもDVDプレイヤーも無く、親がいるリビングでずっと見てた。ふとした時に母親が「ロッキンルーラ」って口ずさむぐらいには見た。そこには田舎者の小僧が憧れるには十分な世界があった。初めてみる爆発があった。ステージの上での3人の爆発。フロアでも殺気みなぎる人々の爆発。なんでこんな事になってんのかは意味が不明だった。意味が分からなかったがそれを見て俺の心も爆発してた。

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話は戻って数年前。「求めよう。」俺らは宇多田ヒカルさんのコンサートに憧れてライブバンドを結成してない。B’zのコンサートを見てライブを始めたわけではない。

MO'SOME TONEBENDER、NUMBER GIRL、PANICSMILE、bloodthirsty butchers、銀杏BOYZ、、、、、etc

彼らのライブ映像で八女郡広川町でアコギで19を弾いてた小僧は、高校に入りバイトを始め、金を貯め熊本市内まで親の車で行き、憧れの向井秀徳セット(赤色のテレキャスターとVOX-AC30)を買い、バンドを始めてそして未だにバンドをやっている。紛れもなく俺らが憧れたライブハウスはあれだ。ライブを始めた理由はあれだ。

あの当時意味は分からなかった物は、10数年ただただひたすらにライブハウスでライブをし、しまいにはライブハウスで働いて少しは分かるようになった。どうしようも無い感情の爆発。ステージで感情をむき出しに奏でるバンドに、何もかもを忘れグオオおおおおっと感情が上り詰めた時に、フロアの拳は上がるし人は人の上を泳いでるし何故か泣いてる。暴れて欲しいとか、迷惑を考えるなとかそういう事では無い。ステージの上の爆発をただただ受け取りそれを遠慮せず爆発させて欲しい。憧れはそこにあった。「俺らが憧れたあのライブハウス。それを求めよう。」


話は元に戻って現在。世はまさにコロナ時代。ソーシャルディスタンスの時代。ダイブモッシュなんてもってのほか、歓声も制限され演者でさえ歌う事に躊躇が生まれてしまう時代。世はまさにソーシャルディスタンス時代。ステージもフロアにも求められるのは爆発の抑制。一見するとあの憧れたライブハウスはもう二度と求めては行けない気がしてくる。なんてこった無い。今まであったか「ダイブモッシュして下さい。大きな声で歓声をあげて下さい。拳を上げてください。野次って下さい。」こんな案内があったか?入口の看板に書いてあったか?入場の際それを書かれたパンフレットでも貰ったか?あのモーサムのライブ映像にそれがあると思うか?なんてこった無い。大丈夫。

今までもずっと自由の禁止はされて来た。制限はされて来た。絶対に必要だ。でも自由の指定はされた事は無い。それぞれの感情表現を抑制はされど指定された事は無い。これは今までもそしてこれからも何一つ変わらない。なので俺は変わらず求める。ライブハウスを。バンドを始めたきっかけを。どうしようも無くなったら歓声の代わりに唇噛みしれば良い。どうしようも無くなったらダイブの代わりに床に寝たら良い。どうしようも無くなったら配信ライブ見ながらカラオケボックスで1人で一緒に大声で歌えば良い。あの光景はガイダンスで作られたものでは無い。フロアにいたそれぞれが勝ち取った、作り上げた物だ。それにも憧れた。

色んな人が色んな見方でそれぞれを楽しんでた。それは変わらない。ただし求める。感情の爆発を。今までがダメなら新しい爆発の仕方を。それをフロアに求める。よろしくお願いします。



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