なきカフェに捧ぐ(2024年上半期について)
2024年はじめ、あの頃の僕にはカフェカルディーノがあった。カフェカルディーノとはコーヒーショップKALDIが運営しているカフェであり、紺と灰色の内装が明るさと落ち着きをもたらす空間のことである。wifiがないどころか電波が悪いために作業ガチ勢がいないし、武蔵小山の住人は穏やかな空気感を醸すのでそれもよかった。うるさくもなく静かすぎもしない、呆れるような話題もなく高尚な営業トークもない世界。
カフェカルディーノ武蔵小山店が失われてしまったのと、僕が武蔵小山から引っ越したのはほぼ同時だった。だから厳密には閉店とは関係ないのだけど、しかしカフェカルディーノと離れたことはこのnoteとの距離が遠くなることと同義であった。それだけ、徒歩3分にあった「なにも求められていない凪の時間」は、考えことをするのに大切だった。
4月に武蔵小山から故郷の高崎へ引っ越しをした。いわゆるUターンというやつだ。それ以外にも2024年の上半期は初めての経験が多かった。結婚をした、車を買った、エジプトへ行った、独立をした。あっという間に時が過ぎ去っていった。
引っ越し一つをとってみても、ゴミの処理から光通信の解約から役所の手続きまで、行うべき仕事は多い。独立はゲストハウス開業のためにしたのだが、それも、物件探しに計画書策定に相談に契約にと小事から大事まで様々な手順がある。おまけに僕は、一度融資に落ちることになる。転居してからだって、屋根裏から光が漏れていたりホースの水が漏れていたりしたし、エジプトでは病院通いになってしまったりした。すんなりいくことなんて何一つなかった。
転居届も出し忘れていた。
人生の局面を動かす中でこそ気付くことはあった。
例えば、せわしない中で続かなくなったものがある。将棋やキーボード。そして昇進を目指して行う仕事。
一方で離れなかったものもある。サッカーやカラス、読書、旅がそれである。
人生の優先順位が変わる中でも真ん中には趣味があった。
また、想定通りに展開しないことが多かった。
逆の方向に行くならまだ良いが、何もない、何も動かない、何もわからないこともあった。
そんな時はただひたすらに足を動かした。人に会い、話を聞き、言葉にした。移動ばかりしていた。救いなんてそう簡単には現れないけれど、それでも動かした。
2023年の12月から2024年の6月は、そうやって、振り返るよりも足を進め続けることで、8年間背負ってきた荷物を下ろして、それでもくっついてるものと、新しい可能性みたいなものを得た。
電話を受ける。消防法に引っかかって予定していた物件で開業できなくなる。本当に、何も、すんなりと進捗することはない。もうしばらくはもがくことが最優先になりそうだ。
たまにはカフェカルディーノのような凪の時間を過ごせる場所をまた見つけなければと思いつつ、それを今度は自分で創ろうとも思う。