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沼にて

週刊台本 #55  コント

(仕事が嫌になったサラリーマンが沼にやってきた)

(SE、コポコポという粘度の高い泡の音)

(スーツ姿の男が正面を向いて肩を落とし、ため息をついている)
……
(老人が現れ、男に斜め後ろから声をかける)
老人:お若いの…
(男、老人に気付き振り向く)
老人:朝早くに、こんな山奥へどうした?
男 :ああ。すいません。ちょっと仕事がうまくいかなくて…
(深呼吸をする)
男 :…そういう時は、こういう沼に限りますよね
老人:沼…そうか
男 :ああ、本当に、沼って心で洗われるようですね
老人:変わってるねえ
男 :何がですか?
老人:あんまりそういう時、沼にくる人いないよ?
男 :そうなんですか?
老人:沼…沼でそんなにリフレッシュできるかね?
男 :いいじゃないですか、沼。憧れですよ
老人:そうか…変わってると思うけどねえ。仕事で行き詰まったら、相場は海だと思うけどねえ
男 :うち、近所に沼がなくて。縁遠いっていうのもあるのかな、いわゆる、沼なし県だったんです
老人:「沼なし県」?海なし県なら聞いたことあるけど
男 :いやあ、清々しいですね
老人:変だねえ。まあ、海じゃなかったとしても、山に来たら、沼じゃなくて湖の方が、清々しい気分にならない?
男 :そうですかねえ。山と言ったら沼ですよ。いいですよ、沼は。沼のそばに小さなコテージを立てて住みたいですね
老人:それ湖のイメージだよ
男 :小舟でも浮かべてね
老人:それ全部湖でやるやつだから
男 :沼畔(ぬまはん)にね
老人:「沼畔」なんて言葉ないから。「湖畔」みたいに言いたいのか知らないけど。そうか…
(老人、俯く)
男 :どうしたんですか?
老人:昔からここを気に入ってたんだが、ここは、やっぱり沼か?
男 :え?沼だと思ってなかったんですか
老人:いやあ、幼い頃からずっとこの場所が好きでいろんな思い出があったんだが、ずっと湖だと思っておった
男 :めちゃくちゃ沼ですよ
老人:めちゃくちゃ沼なのか
男 :じめっとしてるし、透明度低いし、シダっぽい植物だらけだし、コポコポ言ってるし…
老人:だったら沼か…
男 :明確な違いはわからないですけど、この湿度は沼ですね
老人:ところで、沼が好きと言っておったが、じめっとしていて、透明度の低い、そんなところがお前は好きなのか?
男 :いやいや、だからこそいいんですよ。沼だから愛してるんですよ
老人:そうか、わしは、この場所は気に入っとるけど、沼は嫌じゃ
男 :うまくいかないもんですね
老人:…うまくいかないもんじゃのう…
男 :おじいさんは、いつもここに来ているんですか?
老人:いやあ、実は久しぶりに来たんだ。こんな歳になってな、わしも人生の最後にやりたいことをやってみようかと思って。自分の思い入れのある場所で、小さな店を開くのが夢でな
男 :なるほど、コンビニのフランチャイズですか?
老人:いい噂聞かないよあれ。大変なだけだって
男 :そうですか?
老人:家族経営のコンビニのフランチャイズは。上からのノルマがすごいって。経済系のコラムに書いてあるよ
男 :いいですね、いつまでも楽しみがあるっていうのは…
老人:そんなもんかな
男 :わたしは、毎日毎日、同じような仕事で楽しみがなくて…
老人:そうか…せっかくだし、少し聞いてやろう
男 :今まで何も成し遂げたことがないんですよ。人に誇れるような、全力で取り組んで結果に結びついたことが、自分には一つもなくて…。仕事をしている上でも、なんか自分が、他の人の足を引っ張ってるような気がしてならないんですよ。周りの人たちはみんな自分より良い大学を出てるから自分は仕事ができないのかなとか考えちゃったりして…それで、それで…
老人:自分で自分を殺そうと…
男 :お見通しですか…
老人:まあ、無駄にいろんなことを経験したわけじゃない…私はよく考えるんだ。どんな偉大な舞台役者も、初舞台があって、きっと緊張でうまくいかなかっただろうと。どんなレーサーも、初めてハンドルを握った時は、たどたどしかっただろうと
男 :…
老人:「もう歳だから」と思っても、そのさらに未来から見たら過去の自分は、いつも若くて、選択肢に溢れている。実際に未来や過去を見ることはできなくても、人間はそれを想像できる。何も成し遂げたことがないなら、一度くらい未来を変えてみろ。自分という一人の命を救えたなら、一つ、初めに、大きなことを成し遂げた事になるんじゃないか?
男 :流石に、沼にいるおじいさんは聡明なことおっしゃられますね
老人:沼にいる爺さんにそんなイメージを持っている人も珍しいと思うが…
男 :そうですね。未来の自分から見て、誇れる過去の自分でいられるようにいないといけませんね
老人:そうだな
男 :車で、練炭自殺でもしようと思って来たんですけど、せっかく山奥まで来たんで、その練炭で、友達呼んでキャンプでもします
老人:切り替えすごいな。あんまり友達にはその事実は伝えないようにしろよ
男 :すいません。急に話聞いてもらって。ありがとうございます
(老人、前を指さして)
老人:沼か?
男 :沼です
老人:沼か…
男 :沼ですね
老人:沼か…

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