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第一章 清という時代はとても面白い時代である。 科挙の試験に合格する必要もなければ 進士(科挙の試験に合格した人)出身である必要もなく、さまざまな名声を得る機会が得られる。 例えば康熙時代の名臣成龍はただの副榜①出身で、"科挙の補欠"という身分でありながら 最終的には役人から両江総督にまでなった。 薛福成も副榜という功名がありながら挙人②にさえ合格していない。 薛福成は若い頃、功名を取りたいと考えていたが、当時は太平天国運動と捻軍③の真最中。 彼は太平軍に捕まり、あやうく
この1年で清政府とフランスの戦争は全面的に 拡大した。 フランスは海軍の優先を武器に中国の東南沿岸を攻撃し続け、東南沿岸の海防を早急に強化した。 李鴻章の推薦のもと、薛福成は浙江省寧紹台道に任命され、寧波、紹興、台州の3府の海防を担った。 今回は候補ではなく、実務の幹部地位だった。 この1年で、46歳の薛福成はついに正真正銘の役人になったのだ。 彼は興奮して止まず、まずは北京に恩を感謝し、すぐさま浙江省に赴いた。 興奮が興奮を呼び、しかし圧力も同様に巨大化した。フランスの