どんな生き方もどんな終わり方も

<はじめに>
自死を容認するものでも助長するものでもありません

ツイッターに落とすには重すぎるし、読みたくない人もたくさんいるだろうから

知っている俳優の自死のニュースが入って、わたしも驚いた この方の作品って何を見たかなと探してみたり、まだあの映画観てなかったなと思ったりした ちょっと心が揺れた

ツイッターの反応を見てると「なんで」「その選択肢しかなかったのか」というものがちらほらあったけど、その反応に違和感があった あ、世の中にはしにたいと思ったことのない人が割合いるんだなと思った むしろそのほうが多いのだろうな(そうであってほしい)

ニュースになった方がどういう状態や環境、状況で自死に至ったのかはわからないけれど、わたしの経験上では、そう思ってしまっている時にはその選択肢しかなかった しにたいときにどうやって生きるかの選択肢は持てない

しにたいと思ったことのないひとたちはそれでいい そのまま生きていってほしい でも、自死した人の死を(できれば生も)評価しないでほしい

人は必ずしも人を助けられるわけじゃない 夫婦だろうと親子だろうと友人だろうと”他人”だということを把握していなきゃいけない だから精神科や心療内科があって薬物療法がある 周りの人間が支えきれなくても救い上げる方法はいろいろある そういうもので救われるなら当人も周りの人間も頼ったほうがいい(病院選び、難しいけど)

人を認めたいのなら、生きているうちにその人に伝わるように認めよう 亡くなった方にはもう伝わらない それは芸能人だから、ではなく身近な人でも同じこと 太宰治の時代と何も変わっていないじゃないか

自分の好きな人を 自分を 大切に認めていこうね(自戒を込めて)


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