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あれから…

毎年
勤労感謝の日
11月23日は
父の命日になる

今年で20年目

もともと
私が幼稚園のころ
若年性高血圧
腎不全で
倒れて
もう助からないと
言われたこともあった

父の入院中は
妹と一緒に
親戚の家から
母の友人の家
とある道場
と転々と
預けられる日々

毎日毎日
祈る日々
そんな時
奇跡が起こり
父が一命をとりとめた

もちろん
退院してからは
塩分を
毎度毎度の食事で
計算して
作る母
透析に通う日々
薬も手放せなかったけど
元気に
子煩悩な父に
沢山遊んでもらったなぁ

いわゆる思春期でも
よく父と2人で
釣りに出かけたり
料理したり

父が大好きだった

21の時
ワーキングホリデーで
カナダへ

ずっと週6で
働き通しだったあたしは
最後の1ヶ月は
東のモントリオールへ
ゆっくり
一人旅

実家に電話して
父が出ても
大抵
母にすぐ変わってしまうのに
その旅先からの
電話で
父と久々に
ゆっくり話したのを
今でも
覚えてる

その時は
まさか
父と
最後の会話になるとは
知らずに…

旅行から帰り
あと一週間で
帰国
そんな夜中に
1本の電話

母の幼なじみの
おばちゃんから

お父さん倒れてね
今集中治療室で
お母さん電話できないから
代わりにかけたの

頭の中真っ白

その時点で
現地時間真夜中で
帰ろうにも
飛行機飛んでない

とりあえず
朝一で
空港へ

1週間後に帰国予定
だったから
荷物は
まとめてある

朝まで
何も出来ない
もどかしい時間だけが
過ぎていく…

そして
また
1本の電話

お父さん
息を引き取ったよ…

正直
何が起こったか
わからない状態で
飛行機に乗り
当時住んでた
カルガリーから
成田まで
バンクーバー経由で
10時間以上

涙は全く出ない

家に着いて
和室で
動かなくなった
横たわってる父を見ても
出なかった…

父と私の間に
空白の1年があったからか
いまだに
実感は湧かなかったりする

毎年毎年
こうやって
孫たちが集まれる
祝日

父が設計した
家に集まれる幸せ

お父さん
ありがとう
大好きだよ