場所ってなんなんだ!

私は遠い場所に行ったとき、その場所の「どうでもいいところ」をよく見たり触ったりします。

たとえば、駅なら、壁の、ゴボゴボした感じをよく観察したり、触ってゴボゴボを確かめたりするということです。

花のある場所とか、屋外の場合は、アスファルトの地面の質感を見たり、土に混じっているちっこい虫を見たりするのです。

なぜ!?

なぜなら…

その壁(または地面)をよく見たり、触ったりできるのは、「今ここにいるから」であって、また家に帰ったら、どう頑張ってもその壁や地面には触れなくなるわけで…(家から遠いから)。

だから、「今なら見れる…触れる…」と思うと、つい触ったりしちゃうのです。

しかし私がよく見たり触ったりするのは、あくまでも「どうでもいいところ」なのです。

例えば、遠い遊園地に行ったとします。そこには観覧車やパンダに乗るヤツなど、色々な遊具がありますが、

それらは記憶に残りやすすぎるのです。家に帰ったあとでも、「ああ…観覧車やパンダの乗るヤツがあったなあ」と簡単に記憶を掘り起こせちゃうのです。

しかし、「地面のよごれ」や、「壁のでこぼこ」はどうでしょう?家に帰ったらそんな些細なことポポイのポイで忘れていますよね…よっぽどの地面マニア・壁マニアでない限り…。

だから、壁や地面のそれらは、実際にそこにいる時にしか感じられないのです。だから見たり、触ったりしておかないといけないような気がするのです。

こんなこともあります。

私が北海道に行ったときの事です。北海道の有名なキャンディ工場?みたいなところに観光に行きました。クリオネが初めて生で見られてすごい嬉しかった!

そこの駐車場に、じゃりがたくさんありました。よくある、石がゴボゴボ落ちてる駐車場です。(車で踏むとジャリジャリ音がするよね)

私は、そのジャリの中のひとつの石を、ぽヤーンと見ていました。

「この石は北海道の石だから…家に帰ったらものすごく遠い場所の石になっちゃうけど…今拾ってポケットに入れたら、家に帰っても"自分と近い石"でいられるんだ!」と、思いました。そして私はその石ころをポケットにしまいました。てへ(ホントはダメだよね…)

今もその石は我が家にあります。だから触ろうと思えばすぐ触れるし、かじろうと思えばすぐかじれます。歯折れるが…

でも、あのとき私がこの石を拾っていなかったら、

今私が石を触ることはできないのです。だって石は北海道の駐車場にあるんだもの!!

なんなんだろう?場所ってなんだろう?なんで私は遠くに行くと壁や地面を見ちゃうのだろう…なんでちょっと、壁や地面との別れを惜しんでしまうのだろう?本当になんなんだ!?



あーー!!!!

おしまい


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