資本主義の限界と感染病の襲来

2020年 04月 12日

コロナが流行る前から個人的には都市中心の生活や利益追求型の資本主義はもはや限界にきてるんじゃないかとふと思ってた。毎日1時間離れた職場に満員電車で揺られて都心のオフィスにたどり着かないといけなかったり、人やモノが密集した狭いスペースに高額の家賃を払ってところ狭しと住むのもちがうんじゃないか、もう少ししたらこういうのもなくなる社会がくるんじゃないかと思ってたんだよね。
ヒョットに話したら、通勤がなくなる世の中?時代が変わっても通勤とかオフィス街とかは基本的なものだから維持されるんじゃないかなって同意されてなくて。そっかなーまあ戦争もないこのご時世急激な変革とかもそうそうは訪れないかなとおもってたけどまさかの疫病っていうパターンがあるんだね。

これを機に『通信と輸送』の劇的な発展に拍車がかかったら都市密集型っていうのは本当に要らなくなると思う。
資本主義の利益追求型社会がゆえにいまは人とモノを一箇所に集めることが最大効率なんだろうけど、通信と輸送を今の何倍も強化することで
家族とか友達とか好きな人たちと集まって各地の広々とした土地で住みつつ
従来社会の効率も維持するってことはできると思うんだよなあ。

たとえば人と人が会うことで成立すると思われてる営業も、
通信が発展してテレビ見るくらいに通信速度と質があがったら
直接会うのと同じくらいの臨場感で商談ができるだろうし。
工場に行って新しく出来たサンプルをチェックしないといけないとかでも
工場の設備はテレビ電話で見て、サンプルは実物を翌日配送で受けとって確認するとかもできるだろうし。

ドローンなり自動運転なり物流倉庫システムなり、
そういった運送技術がますます発展して、場所と場所をつなぐ力が強化されて、物理的な距離が縮められたら今現在絶対的に必要だと思ってるものも絶対に必要ではなくなるはずなんだよな。

シリコンバレーもあれだけデジタルが発展してながら
周辺の土地代が高すぎてコンテナーに住むエンジニアとかが多いらしい。
高級取りの生活水準が犬並みっていう矛盾。
シリコンバレーでもこの様だからそう簡単ではないだろうけどコロナの逆境を反動にかえてやってほしいな。

今の世の中から『住む場所の制限』がなくなったら何倍も生活の質があがるとおもうんだよね。大自然に囲まれた湖畔でさ、ゴールデンレトリバーを数頭放し飼いながらオンラインで労働に勤しみ生活必需品は配達で届き、無人運転で張り巡らされた公共交通で主要な機関にも足を運べたり。
あと北海道の奥地の会社が沖縄の離島の大学生を採用するとかしたら地域間格差や過疎化も解決できるし。

もちろんコロナで大事な人たちが命を落とすのは絶対やだから収束はしてほしいけどこんな起こりもしなかったようなことが起こったこらにはただでは転ばないぞと、変革に繋がって欲しい。

そういう意味で企業たちはどこもいちはやく在宅勤務を初めて在宅ワークのノウハウでも培ってよ。
スマートフォンなんてドラえもんの夢の道具だと思ってたのが今やひとりに一台当たり前な機械になってるように、できなかったと思ってたこと絶対できるから。

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