「即売会というメディア」について考える

「同人文化は焦る要因がいまのところない故に、現状維持の傾向が強い」的なことを前回書いたばっかりなんですが、その理屈なら、文化の在り方を根底から揺るがす、焦りが生じる状況があれば新興メディアが急速に普及する可能性はあるだろうなあと考えたりします。

あ、前回に輪をかけて具体性のない短い話です。

つい同人といえば同人誌という印象が強いので、思わず「文化の基盤にあるのは紙本だ」と考えがちなんですけど、実際のとこ、CDやDVD(音楽・ゲーム・フルカラーグラビアや動画など)やアクセサリーや小物グッズ、服飾品など、時に特定作品の重大情報がそこで開示されたりと、紙本以外の媒体も大量に流通してますからね、同人誌即売会。

深く掘り下げていくと、今日の同人文化を今日の姿たらしめている主要因はやっぱり「即売会というメディア」なのではないかと思うのです。

もちろん、同人文化の歴史的には紙本媒体ありきで、そのやりとりをするために即売会という手法を使ったわけですけど、今日のこれほどまでに高度に発達した同人文化においては即売会ありきで物事のだいたいが成り立っているよねえと、あらためて実感します。

「即売会をいつどこでやります」という告知をもとに人が集うし、集った人らに向けて同人誌はじめとした様々な品目が生み出される。即売会を介して流通するという前提があるからこそ、そこでのやりとりに適した媒体(冊子、光学メディア、小物グッズなど)が人気品目として作り手に選ばれる。結果的に同じ空間を共有するので対面式の交流が生まれる。そこで生まれた作品を各地に流すために流通が生まれる。

それらすべてあの「場」が存在していること前提に生じているもので、ならば「場」こそが今の同人文化の基盤なのではないかなと。なんだかすごく基本的なことを今になって実感します。

たとえば「同人文化とは紙本である」とだけ定義して「よって電子書籍を販売として代替とする」と考えると、即売会というメディアに付随していたいろんな要素が抜け落ちていって、当事者からすると「そうじゃないだろ」という反応になる。

一方で、紙本そのものが現状では即売会というメディアの一側面なので(大きな側面だけどね)、一側面を補助するという視点でいくとたぶん上手くいく。委託書店やDL同人などは、まさにそうやって発展し、結果、独自の路線も持てるまでに発展したものだろうと思います(詳しくは前回の記事も読んでね)

日本橋魚河岸のさんまであっても脂や骨をごっそり除いたら不味いさんまが出来るのはそら道理で、よってさんまは目黒に限る、みたいなね。

 そんな中、2020年の東京オリンピック開催に伴い、コミックマーケットをはじめとした沢山のコンテンツ展示・即売会開催に影響を与えることを考慮し、私たちピクシブは開催の規模縮小に対して何か行動をしたいという思いに至りました。
 そこで、ピクシブに何ができるかの議論をつくして生まれた企画の一つが、本イベント「BOOTH Festival」です。
Web上での即売会「BOOTH Festival」を開催決定より)

前の記事でもちょこっと触れた、pixiv主催のウェブ即売会のプレスリリースでも、そこにあるのは会場問題から端を発した危機意識です。

同人文化に飛び込んでみてどんな分野で一番神経使うのかと振り返ると、性表現や諸権利の扱いなどいろいろありますが、その中でも会場にまつわる問題は大きく動かしがたい何かであると、折に触れて感じます。

サークル参加をしてみると「こういうことされると設備が痛んで会場が貸してもらえなくなるので禁止ね」という会場由来の要項はどこの会場やイベントでも多く、2013年の黒バスサークルが参加を断られていた折も脅迫を受けた会場からの要請が強かったり、今も2020年前後のビッグサイト問題で揺れてるわけです。方向性は様々ですが会場で即売会を開催するから生じている問題としては共通しています。

たぶん即売会というメディアの身体は建築物と地域の形をしていて、それを文字通り土台にして展開されてるものを総称して同人文化と呼ぶ。

「即売会という形式がアマチュア作品の流通にとって便利である」とは前回の記事でも触れたことですが、だったらもし「建築物と地域という箇所を別の何かに差し替えても、以前とやってること、得られるものがあんまり変わらんね」と感じるものに出会えたら。それこそが同人文化が変革しうるものなんでないのかな、と。

終わり。