異常がわかるまで
はじめまして。nokaと申します。
2023年で、29歳になります。
先日、不妊症の1つである無精子症、そしてその原因が、先天性の染色体の異常(47,XXY)が引き起こすクラインフェルター症候群によることがわかりました。
なかなか投稿できず時間がかかってしまいましたが、今回は検査のきっかけから発覚に至るまでの経緯をお話しし、自己紹介とさせて頂ければと思います。
おおよそインターネット上や書籍等で調べると、「不妊」の名の通り、既婚で子供を作ろうとして夫婦で治療に取り組み、その最中に不妊が発覚するという流れが多いらしいのですが、私の場合は少しきっかけが違いました。
経緯
検査のきっかけ〜無精子症診断
経緯としては、2021年に別の症状が理由で泌尿器科の診察を受け、その通院中に先生から「不妊症の検査を受けてみない?」と声をかけられたのがきっかけでした。
ただ当時、私は必要性を感じなかったため一度辞退したのですが、翌年(2022年)にも症状が再発したため再度泌尿器科にかかり、その時も同様に声をかけられたのです。
今になって思えば、この時既に先生の目には何もかもお見通しだったのかもしれません。
先生の言う「年齢的にも」という点に心を動かされて、最終的に検査を受ける決意をしました。
それが2022年の8月頃でした。
ただ、検査を受けると決意はしたものの、当時は自分の身体に何かの異常があるなど思ってもみませんでした。
しかし検査を受けますと伝えた当日、早速採血を行いました。
悠長に考えていた私は正直そのスピード感に驚いてしまいましたが、もう一つの重要な検査である「精液検査」は1ヶ月後。
今思うと段階を踏んで小出しに検査できたことも、よかったのかもしれません。
そして1ヶ月後。
精液検査、もちろん初めてです。
しかし1ヶ月間、インターネットで調べた前情報でイメージトレーニングを重ね、当日は無事採精。
カップに入った精液はよくある白い、半固体状の液体でした。
その後2週間。
ここまでは、今思えば本当に何も悩みはありませんでした。
ただ単に好奇心のみで、貴重な経験をしているなと。それくらいの感覚でした。
診察室に入り、先生と対面。
そして先生がいつも通り軽妙な感じで一言。
「検査の結果なんだけど、精子、いないんだよね」
そして見せられた検査結果表には、「精子濃度:0 [万/ml]」の文字。
少ないんじゃない、どこからどう見てもゼロという数字です。
しかも、他に並ぶ項目も当たり前のように0ばかりです。
え?
精液、出てたじゃん。白い部分あったじゃん。
いないってことは、あの液体、何?
そんなことが頭を駆け巡り、
先生の声も聞いていたのかいないのか。
そんな感じだった気がします。
続けて、採血の結果も見せていただきました。
私は幸せなことにこれまで大病をしたことがなく、検査といえば健康診断くらいのもので、血液検査の結果表を見ても正直何も、という感じでした。
「精子がいない時、精子の通り道が塞がっている場合と、精巣が精子を作っていない場合があって、この血液検査のホルモン値(LH、FSH)を見ると、精巣が元気ない感じに思えるね」
「あと、男性ホルモン(テストステロン)は基準内ではあるけど、20代だから本来は2倍くらいはあってもいいと思える結果だね」
そして最後に、本当の原因を突き止め、その先の手を打つためにも、大学病院への紹介状を打診されました。
当初私は無知ゆえ、検査の結果だって異常があるにしても多少平均よりも精子数が少ないくらいだろう、と何の根拠もなく思っていました。
しかし、それがゼロです。
男性の身体をしていて、射精もでき精液も出るのに。
これまでの人生で色々と悩むこともあるにはありましたが、数年前初めて交際相手もできて、ようやく人並みになれるかと思った矢先、この診断。
「無精子症」という診断を受け止めきれず、紹介状も最初は拒否してしまいました。
そして待合室。
一度は断ったものの頭が落ち着いてくると、これでいいのか?交際相手のためを思うことが次にすべきことではないのか?ということが、不意に頭に浮かんできました。
数分後、半分泣きながら、やっぱり紹介状をと声を絞り出しました。
ただ、当時一歩踏み出したことは、やはり間違いではなかったと今となっては思います。
2回目の確定診断〜染色体異常発覚
紹介状を書いてもらった翌日、
とにかく原因を知ろう!そして僅かに、先日の検査は誤診かも…という淡い思いを抱えて、大学病院に電話を掛けていました。
最初は苦手な雰囲気の案内でしたが、恐る恐る申し込みを済ませ、取れた予約は1ヶ月後。
そこはどうやら不妊外来があって専門医もいる有名なところで、全国各地から患者さんが集まってくるほどの病院だったようです。
私はたまたまその近所に住んでいたものの、それまではその存在を知らず、本当にラッキーでした。
それから初診までの1ヶ月間は仕事の方が繁忙してきたこともあり、不安を抱えながらも比較的思い悩むことはなく、気になったら調べるくらいの感覚で過ごしました。
そうして2022年の11月末頃。
ほとんど初めての大学病院へ。
入口を入るとものすごい人の数。本当に驚きました。
そして待つこと少しして渡された地図に従い、ダンジョンのような病院内を進むと、人気がなくなり、別棟のような綺麗な空間が見えてきました。
どうやらまだ開設されてから日が浅いらしいこと、対象者が若年層とあって「病院というよりはクリニック」のような少しライトな施設にたどり着きました。
そして待合室にはカップルや夫婦がほとんど。
一人で来ていた自分には少し肩身が狭い思いでしたが、怖気づくわけにはいきません。
その場で受付を済ませ、当日の問診・同意書を書き、次にエレベーターで診察室のあるフロアへ上がりました。
この施設の場合、フロアで男女の診察室が分けられていたようで、そのフロアではほとんど男性、付き添いの女性、あるいは親御さんといった様子でした。
ここも明るい雰囲気でしたが、待合室は静寂そのものです。
時折、患者番号の呼び出しがある以外は緊張の空間だったように思います。
それからは…受付でもらったパンフレットを開いて、隅々まで読んで。
質問された時用の回答をメモして。
そんなことを何周も何周もして。
平日の午前中でしたが満員そのもの、予定時間なんてあってないくらいの時間が経った頃、不意に自分の番号が呼ばれました。
緊張がピークに達する中、恐る恐るドアを開くと、そこは至って普通の診察室が広がっていました。
特に、話し始めると先生が予想外にフレンドリーだったことを強く覚えています。
紹介状の内容を確認して、触診。
無精子症の判定を受けて来院したこと、今後の診療方針についての話をしました。
結婚していると色々と保険適用だったりすることも独身だと適用外だったりするので費用面では高くつく、と説明を受けた上で、もともと織り込み済みだったこともあり、「ブライダルチェック」として再度の精液検査・血液検査を行うことに。
じゃあ次回、精液検査か…と思った直後、すぐさま案内される別の部屋。
そう、採精室です。
つまり当日いきなりの検査だったわけです。
心の準備ができていなかったものの…
すでに一度経験していたこともあり、またここでつまづくわけにはいかないという思いもありで、何とか事なきを得ました。
そして続いて大学病院のメイン棟に戻り、採血。
そうして、初めての大学病院は緊張・弛緩がミックスして、とにかく勉強になる経験になりました。
結果はまた1ヶ月後。
しかし大学病院で目にした、同じように悩む人々の多さに助けられるように、この頃は好奇心旺盛に色々な読み物や論文を漁り、読みふける毎日を過ごしました。
まあ当時は仕事の方も忙しかったこともあり…今思えば現実逃避だったのかもしれませんが…
2022年のクリスマスイブ。
そんな日にまた大学病院を訪れました。
待ちに待った結果の日ですが、
正直言うとそれ以降、非常に気分が落ち込んだこと以外、はっきりとしたことを覚えていません。
検査の結果は泌尿器科の検査結果と全く同じ、「無精子症」というものでした。
そして血液検査のホルモンの値も同じ傾向なばかりか、以前よりも悪化方向の数値が出ていました。
実は、1回目の泌尿器科での検査の際、その泌尿器科ではあまり普段精液検査を行なっていないような雰囲気があり、それによる誤診ではないか?という思いがありました。
そして、その頃市販の精子観察キットも試して、いわゆる精子が全く見つからなかったものの、それもやり方が悪かっただけだろうと思いました。
何度やって見つからなくても、素人なんだからみたいな、変な納得のさせ方をしていたのかもしれません。
ただし、さすがに不妊外来を専門に持つ大学病院の判定も同じ、となると誤診の可能性はほぼゼロでしょう。
つまりこれが確定診断、自分にとってはトドメを刺されたような感じがしました。
無精子症の割合は男性の1/100。つまり1%です。
割合としては非常に低いわけではないですが、知らなければ何それという症例です。
「なぜ?」「異常なのか?」「原因は?」
そんな疑問がふつふつと沸き上がってきます。
「こんなにたくさんの人間がいるのに、なぜ自分がこうなのか?」
そんな思いが出てきつつ、やはり原因が知りたいと思い、手元のメモに予め書いていた検査。
原因を探り、今後の方針を決めるための次のステップ。「染色体検査」を先生も提案してくれ、それにすがるような気持ちでいっぱいでした。
せめて何か原因があってくれれば。解決はしなくとも精神的な救いにはなるんじゃないか。
そしてこの日は一旦帰り、3日後に採血を行い、結果は1ヶ月半後となりました。
この間は本当に悩み苦しんでいた期間でした。
もしかしたら、人生で一番苦しかった年末年始だったかもしれません。
NPO団体主催の不妊のイベントに行って何かを得ようとしたものの、自分の求めることが何なのかわからなかったり、日夜論文を調べては読んだり。
でもそれらは結局、気を紛らわせようとする手段でしかありませんでした。
本当に辛かったのは、交際相手に「不妊」を告白するか否か、でした。
何年も付き合ってきて、実は生殖能力がありません、子供ができません、なんてことを告げられたら、もし子供が欲しいと思っていた人ならば、確実にそこで別れることになるでしょう。
もちろん、今の技術はすごいです。
確率にはなりますが、子供を得る手段がないわけではありません。
しかし、自然な方法ではまず不可能で、どうやったって結局、女性側の負担が非常に大きいことは間違いありません。
自分は子供なんて無理だな、と元々漠然と思っていたこともあり、そういった話をすることがなくここまで来てしまいましたが、相手は別です。
自分よりも若く、まだやり直しがきく年齢。
選択肢がない人間よりも、選択肢を選べる人と一緒になってほしい、という思い。
一方で、別れたくない、できれば…一緒にいてほしい、という思い。
両方の相反する思いが混じり、顔をあわせる度に言おうとして言えず。
そんな日を繰り返すうち、じわじわと心が擦り切れていくようでした。
そして…もうどうなろうと、意を決して言おうとした日。
それでも、目を見て話すことはできませんでした。
しかもすごく回りくどい方法での告白。
でも…
結論としては「全然大丈夫」ということでした。
経緯も、思いも、しっかりと受け止めてくれました。
自分にとっては全く予想外の反応でした。
狐につままれたような感じがしました。
でも、本当に安心しました。
救われる、というのはこういう時のことを指すのでしょう。
一気に心の中が晴れやかになりました。
悩んでいたこともすべて吹き飛び、日常に色が戻りました。
それが、2023年1月中旬のことでした。
そしてそれから少しして2月。
そろそろ見慣れた大学病院の診察室で、冒頭の診断を告げられました。
染色体検査の結果は「性染色体の過剰」。
無精子症の原因は、それにより引き起こされるクラインフェルター症候群のためということが明らかになりました。
初めて見る染色体の画像、検査結果にドキドキはしました。
が、もうこの頃には沢山読み漁った論文と、自身の身体的特徴からして、ほぼ確実に異常があると予想できていたため、驚きはありませんでした。
むしろ原因がわかってよかった、と安堵するくらいでした。
テストステロン値も低いとはいえ許容範囲内で、今の段階ではそれ以上治療すべきことはないため、先生にはお礼を述べ、ここまでで診療は終了となりました。
ちょっとした好奇心から始まった検査が、ここまで自分の中で大ごとになるなんて夢にも思いませんでしたが、結果的には周りの環境に助けられて丸く収まったという形でした。
今後のこと
振り返ると、色々な感情の揺れ動きがありました。
しかしその過程、きっかり半年の間で本当に様々なことを知り、調べ、学んできました。
この先は、その中で調べた情報や、感じてきたことをまとめていこうと思います。
とても心細くて迷いそうになってきた自分自身のために。
そしてどこかにいる同じ悩みを抱える誰かのために。
ここで書いたことが誰かの心の支えになったらいいなと思いつつ、いち当事者として何か発信できたらなと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
noka
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