竹村牧男博士ご講演「空海という人」

2021年5月21日12:45 竹村牧男博士 クラブハウス

みなさま、お待たせいたしました。空海の特別講演会を開催します。仏教哲学者でNHKのEテレの朝の番組でも人気を博した竹村牧男博士のご講演となります。宗教というよりはむしろ哲学的な観点から、空海にわかりやすくアプローチするということで、こちらはクラブハウスでご講演の資料となります。

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「空海という人」
                          東洋大学名誉教授 竹村 牧男

                 
〔空海 略年譜〕
七七四 四国讃岐多度郡に生まれる 現在、善通寺のあるところ
二四歳までの間に、ある一人の沙門から虚空蔵求聞持法を授かる
    大学を中退し、四国の山岳の霊地を巡り歩いて苦修練行を重ねていた → 01
七九七 『三教指帰』を著す
八〇四 唐に渡る 
八〇五 長安西明寺でインド僧の般若三蔵・牟尼室利三蔵について学ぶ
さらに青龍寺東塔院の恵果のもとに赴く。同年六月から八月の三ヶ月間に残らず直伝される。恵果は同年十二月十五日入寂 
八〇六 一月の葬儀に際し、門下の道俗一千余人を代表して碑文を撰す
    予定を変更し、留学期間を二年に短縮して帰国 → 06
八〇九 京に入り、高雄山寺に住して密教を布教し始める    
八一八ころ 高野山開創
八二一 讃岐国満農池の修築 → 02 
八二三 東寺を賜る この年から真言宗の名が太政官符に認められてくる
八三〇 朝廷の命に応え、『秘密曼荼羅十住心論』、『秘蔵宝鑰』を提出
八三四 宮中に真言院を設けて、国家のために祈祷すべきことを奏進(八三六年より宮中後七日修法として修されるようになる)
八三五 空海 入寂

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01二四歳までの頃は、阿波(徳島県)や土佐(高知県)など、四国の山岳地帯の靈場で修行を重ねた。「飛燄を鑽燧に望み、阿国の大滝の嶽に躋り攀じ、土州の室戸の崎に勤念す。谷、響を惜しまず、明星来り影す」(『三教指帰』の序文、定本第七巻、41頁)。

02讃岐国満農池の工事の監督の時。「百姓、恋ひ慕ふこと実に父母のごとし。もし師来ると聞けば、郡内の人衆、履を倒にして来り迎へざるなし」(『弘法大師行化記』)


03疫病退散の一例:弘仁九年の春、疫病、天下に流行して、死屍、野外に満つるありさまでありました。嵯峨天皇、深く宸襟を悩ませられ、疫災消除のために、自ら宸翰を染めて般若心経一巻を書写したまい、大師に勅して講讃供養せしめられました。大師、勅を承けてこの経を講じたもうに、もっぱら秘密真言の義に依り、五分の宗を開きて、胎蔵曼荼羅諸仏菩薩の内証を顕し、顕密一切の法門ことごとくこの中に摂まる旨を説き、古今未発の深義を宣揚あそばされました。その時の御講録は『般若心経秘鍵』と題して今に伝わり、宗門の重書であります。また、天皇御宸筆の御経は紺紙金泥の本にて、古来、京都嵯峨大覚寺に伝わり、代々勅封の重宝でありまして、今、現に同寺の心経殿に安置してあります。(長谷寶秀『弘法大師行状絵詞伝』、六大新報社、1934年)

他に、書の達人。文章に勝れ、漢詩の詩作に秀で、漢詩論の著作・『文鏡秘府論』あり。
 一方で幽邃な高野山を愛し、そこでの仏道修行を欠かさず。

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05密教はインドで七世紀ころに、大乗仏教の理念を受け継ぎながら新たに現れてきた仏教。
中国には善無畏訳『大日経』、不空訳金剛頂経』が伝えられ、恵果は不空の弟子の一人で、双方の教えを総合するような密教を空海に授けた。恵果は空海に、早く日本に帰ってこの密教を広めよと言い渡し、その後、間もなく遷化した。

06帰国時の申請文書に、自分が継いだ仏教について、「此の法は、則ち仏の心、国の鎮なり。氛を攘い祉を招くの摩尼、凡を脱れ聖に入るのきょ径なり」(定本第八巻、86頁)という。
『秘蔵宝鑰』の秘密荘厳心を表す詩に、「顕薬は塵を払い、真言は庫を開いて、秘宝忽ちに陳して、万徳即ち証す」(定本第三巻、117頁)とある。

07『即身成仏義』では、その前半において、二経一論(『金剛頂経』、『大日経』、『菩提心論』)八箇の教証が示され、後半では「即身成仏頌」と呼ばれる詩が提示され、解説される。
第三の教証に、「若し能く此の勝義に依って修すれば、現世に無上覚を成ずることを得」(定本第三巻、17頁)とあり。『菩提心論』の教証に、「真言法の中のみ即身成仏するが故に、是に三摩地の法を説く。諸教中に於いて闕して書せず」、「若し人仏慧を求めて、菩提心を通達するに、父母所生の身に、速に大覚の位を証す」(同前、18頁)とある。

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09大日経に謂う所の、我れ本不生を覚れり、語言の道を出過し、諸過に解脱を得て、因縁を遠離し、空は虚空に等しと知る、是れ其の義なり。(同前、19頁)
又た金剛頂経に云く、諸法は本不生なり、自性は言説を離れたり、清浄にして垢染無し、因業なり、虚空に等し。此れ亦た大日経に同じ。(同前、20頁)

つまり、「六大」とは、空海の言葉にいう、法界体性というものの諸徳性を示していると見るべきだというのである。そして、この六大が能生、諸仏や諸衆生等が所生だという。ただ、この能・所は、普通の意味の能所ではない、と指摘する。
 それらを踏まえて、この第一句の本当の意味が、次のように示される。

10是の如きの六大の法界体性所成の身は、無障無礙にして、互相に渉入し相応せり。常住不変にして、同じく実際に住す。故に頌に、六大無礙常瑜伽(六大無礙にして常に瑜伽なり)、と曰う。無礙とは渉入自在の義なり。常とは不動、不壊等の義なり。瑜伽とは翻じて相応と云う。相応渉入は即ち是れ即の義なり。(同前、23~24頁)

「六大無礙にして常に瑜伽なり」の句は、法界体性のもとに成立している各個体(身)は、それぞれ相互に関係しあっているということを表しているものだったのである。

11同第四句、「重重帝網のごとくなるを即身と名づく」ということは、即身成仏の即身とは、自己が他のあらゆる諸仏・諸尊・諸衆生と無限の関係性を結んで成立していることを意味しているのだ、ということである。即身とは、今のこの身に即してということではなく、他者と相即している身であるということであり、そのことが仏となったときに自覚されるというのである。

ということは、自己はいわば曼荼羅の構造を持っているということである。


12胎蔵曼荼羅では、「中心から周辺に向かって四方形が順次広がっていく構造」であり、十三の部分から成り立っている。中央に八葉蓮華台があり、宝幢如来・開敷華王如来・阿弥陀如来・天鼓雷音如来の四仏と、弥勒などの四名の菩薩が大日如来を取り囲んでいる。その外側の東西南北(上下左右)に、観音院・釈迦院・地蔵院等々、一二の院(中央と合わせて一三院)が縦・横に配置されて、中央の八葉蓮華台を囲んでいるわけである。そこに描かれる諸仏諸尊は四百あまりいて、全員が異なっている。
一方、金剛界曼荼羅では、全体が縦・横三つずつ九つの区域(九会)に区切られ、それぞれに円と四角等で位置を定めつつ諸尊が描かれている。中央の区域は成身会であり、そこには、大日如来を中心に阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就の五仏が坐し、大日如来のまわりには四名の波羅蜜菩薩、阿閦以下の四仏のまわりにも各四名、計一六名の菩薩が坐している。さらにそのまわりにも菩薩らが配置されて、結局、「成身会」は三十七尊から成ることになる。金剛界曼荼羅では、登場する諸仏・諸尊が、チームを組んで九つの各会に現れたりして、その辺にも描かれている全員が異なっている胎蔵界とは異なる特徴がある。

13「しかのみならず、密蔵深玄にして、翰墨に載せ難し。更に図画を仮りて悟らざるに開示す」(『御請来目録』、定本第一巻、31頁)
秘密荘厳住心とは、即ち是れ究竟じて自心の源底を覚知し、実の如く自身の数量を証悟するなり。謂わ所る、胎蔵海会の曼荼羅と、金剛界会の曼荼羅と、金剛頂十八会の曼荼羅と是れなり。……(『秘密曼荼羅十住心論』、第十・秘密荘厳心。定本第二巻、307頁)

すなわち、曼荼羅は自己の心の源の底、根源的なあり方を現したものなのです。それは、「重重帝網のごとくなるを即身と名づく」の図示であると言ってもよいであろう。
 このように、密教では、「自己即曼荼羅・曼荼羅即自己」である自己の自覚がもたらされる道であるということである。空海は長安まで行ってそのことを学び、それを日本の人々に伝えようとしたのであった。


〔参考〕
      金剛界マンダラ         胎蔵界マンダラ
  東   阿閦   大円鏡智       宝幢   発心
  南   宝生   平等性智       開敷華王 修行
  西   阿弥陀  妙観察智       無量寿  菩提  
  北   不空成就 成所作智       天鼓雷音 涅槃
  中央  大日   法界体性智      大日   方便

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〔参考文献〕

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