観能ブログ蔵出し「能の見方〜感覚の呼吸」

2013年1月11日のブログ
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見所…みどころではなく、けんしょと読みます。能楽堂の観客席の事を指します。


能楽堂って、舞台に向かい合う正面と、左斜めから舞台に向かい合う中正面。そして、舞台から見て右横で橋掛りに接する脇正面の三方に囲まれています。
俺が好きな席は、脇正面。それも橋掛り寄りの一番後ろの席。

何故かって?
そりゃ、通ぶれるからさ!と言いたい所なんだけど、様はそこが安い席だったから。

でも、あの辺りは能楽師の方が良く座っていた。
良く見かけたのは、喜多流能役者の、故 粟谷菊生師。
何かかっこ良く見えた。そして、観世流能役者 故 橋岡久馬師。
幕のそばだから、シテが幕出する時の摺り足の音。五感を集中させて、摺り足の音が近づいてくるまで、幕を見ない。俺の真横にシテがハコビをした時に、首をキュッとしてシテを凝視する。

未だにこの瞬間は堪らないものがあり、この時点でこの能の出来を判断する。あくまでも俺の主観の判断だけどね。
幕出から凄いと思うと、「あっ、きた。」となるんだよな。そういう時は、もう参りました状態に陥るのだ。
そのシテの気に俺の気を委ねるだけなのだ。なかなか無いんだけどね。

必ずしも、幕出がそれなりだなと思っても尻上がりに良くなって虜にされるバターンも無い事は無くはないけど少ないな。

シテの気だけじゃ無い。三役の気とも、時には委ね、時には対決する。
それも堪らない俺の能の見方。
観始めの頃は、その気に圧倒されっぱなしだった。例えば、相撲でいうと、電車道のように一方的に押し出される感じと言えはいいかな。

それが悔しくて堪らなかった。どうしようかと工夫してみた。そうだ舞台の気を身体全体で受け止めて、感覚の皮膚呼吸をすれば良いんだと思い、ずっと実践してみた。
最初はまったくうまくいかなかったけど、舞台の気の呼吸と俺の呼吸が合うようになってきた。

能は、場面で気が変化する芸能だと思っている。だからその変化に俺の気の呼吸も力みなく合わせなければならない。力みが入ると身体全体でモロに舞台の気を受け、感覚の呼吸がしづらくなり、立て直すのに若干の時間を要してしまう。
特ににクセの場面が一番舞台の呼吸を合わせるのが大変。
重心の低い謡からクセは大概始まる。こちら感覚の重心を下げる。そこでズレると立て直すのが困難になる。でも上手く入れると、感覚が、舞台て俺の間でスイングする。こうなったらしめたもの。

こういう瞬間が時折あるから、能を観るのはやめられないのだ。








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