中通クルーズの構造と批評性


2024年5月3日から5日まで全4公演が開催された中通クルーズ。
本当は初日と千穐楽に行く予定だったけど、都合付かず、中日の夜公演と千穐楽に足を運んだ。

中日夜と千穐楽では、自分の観る立ち位置が違っていて、前もって購入していた千穐楽と、回り回って急遽行く事にした中日夜とでは、中日夜は、どちらかというとニュートラルな感覚で観た。先入観無しで観たので、中通クルーズと言う作品の流れと、やはり、チクリとくる秋田に対する批評性があるなと思えるものだった。

ねじのコント自体、物事に対する批評性がサラッと織り込められている。人の滑稽さや、内心言えないけど、あるあるなどをサラッと入れている。これが強調されて前に出過ぎると、主張の押し付けになりがちなので、その塩梅は見事だなと思っていたりする。

千穐楽後に台本を購入した。実際の舞台は、自分が観た中日夜と千穐楽は台本に無いアドリブが結構あった。
アドリブが多くても中通クルーズの作品観が崩れている様に感じなかったのは、作品の構造が1本の線で繋がっていること。去年の中通ヒルズは、いろいろ短編を繋ぎ合わせた感じだったのに対し、中通クルーズは最初から長編としての流れがあった。長尺コントは、シソンヌとかも長いので、最初から長尺を意識して脚本を書いたのだろうなと窺える。

脚本、演出、演者のササキユーキさんは、秋田に対する挑戦だと言っていた。それは中通クルーズの台詞に現れていた。秋田で活動する強かさを隠さない。

全体的にはハッピーエンドの筋だけども、県に対するアプローチは、中通クルーズ内だけでなく、ねじの県に対する強かなアプローチが投影されている。ゴトウモエさんと尾樽部和大さんが演じた、地域おこし協力隊が原住民になって歓迎する下りは、いろんな視点で人によっては観る事が可能だ。素直に受け止めてもいいし、地域おこし協力隊って何だろと、疑問や滑稽さを感じても良いし、表面上は素晴らしい活動をしている物事に対しての、ササキユーキさんの視点が現れていると、自分は受け止めた。

焚き火の場面で、ササキユーキさんと神崎りくくん(くんづけしないと本人が怒るのでくん付け。)でも、「県の金で生きる。」と役にササキユーキさん自身が投影されている。

皮肉屋の性分なので、斜めから物事を見がちなのは許してもらいたい。

。県とうまくお互いにウィンウィンする関係に持って行き、税金(県の金)で面白いものを作って何が悪い。

助成金目当てで、秋田凄いとアピールして近づいて来る人が少なく無い。

助成金で、面白いものを作って継続させて行く。地方における地域振興(あまり好きな言葉では無いけど。)の、これからのやり方を、中通クルーズというコントでササキユーキさんが示したのではないかな。

助成金をかっぱらってドロンするのではなく、お笑いに最大限に還元するやり方は、もしかししたら、地域のガス抜きで終わってしまうのかも知れない。それが継続してハレからケとなり日常になるのならば、ガス抜きにとどまらない先が見えてくるのかも知れない。

秋田県で活動する覚悟と挑戦と強かさ。
中通クルーズの作品の重層性を感じる事が出来た。

余談ですが、千穐楽は作品の構造よりも、筋はわかっていりので、更に各演者がアドリブをかましてグイグイ来たのを楽しみながら観れたね。

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