紀州道成寺「鐘巻」

2013年10月23日に記したブログ蔵出し

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10月19日に、紀州道成寺境内で行なわれた(雨天のため大成中学校体育館)
山形県鶴岡市黒川に500年以上伝わる黒川能を観に行ってきました。

自分の実家が、秋田県湯沢市で、黒川とはそんなに遠くありません。
亡親父が、自分と一緒に観能するようになり、黒川能に興味を持って車で何度か黒川に行ったみたいです。
自分が黒川能を初めて観たのは、国立能楽堂での公演ですが、当時の印象はほとんどありません。数ある民俗芸能のひとつだなと思っていたのでしょう。
『鐘巻』の前日には、伊勢の神宮内宮参集殿能舞台で、国立公演以来の黒川能に接しました。国立公演の印象とはかなり違う印象を持ちました。
興行としての公演と奉納の違いが出ていたのかなと、今、思います。

黒川能には、上座と下座があり『鐘巻』は下座のみ。『道成寺』は上座。
当日は、京都の金剛能楽堂で上座の『道成寺』が上演されました。
『鐘巻』は能『道成寺』の元とされている曲で、五流現行曲『道成寺』と比べて、詞章も多く、特に乱拍子に行くまでの展開が細かく描かれていました。

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最初に、上下裃姿で登場する人が正先に坐して塩を左右にふりかけニ拝二拍手一拝をしました。
地謡、囃子方が幕から登場。そして配置についてから深々と礼。
狂言方が鐘を運んで、鐘後見?が鐘を吊るします。
能でいう名ノリ笛。黒川能の笛のフレーズは違いがあります。
ワキが登場して、謡。黒川能の謡は五流の能の謡に耳が慣れてある者にとっては面食らうもの、いや耳食らうものといっていいくらいでした。節の語尾のアクセントが一瞬靡くように強調されていました。ほとんど聴き取るのが難しかったですね。
前シテの幕離れ。五流と比べて、シテから放たれている業の匂いが強烈でした。これは、もしかしたら江戸時代の式楽化される前の能の名残を残しているのではと想像させるものかなと。

次第の謡も、舞台な背を向けるのでなく、地謡の方を向いて謡。
現行『道成寺』との違いは、乱拍子前に顕著に表われており、舞クセ?みたいな節と、シテのアゲハの型と謡があった気がします。
濃厚な土着性の匂いがぷんぷんとします。これが中世の匂いなのかな。

乱拍子は、現行『道成寺』に比べればサクっと進み、足使いもシンプル。逢えて言うと金春流に近いものを感じます。
鱗型のように段を重ねる様に回り、中の段に到るまでの段数は、11~12段。(断定できずスミマセン)中の段で扇を持ち替え、謡を織り交ぜて3段。ワキも狂言方も眠る型で、シテが足拍子を踏むたびに一瞬目が覚めまたウトウトと。急の舞はややジックリ目。鐘入りは、シテは正面を向いて両手を鐘の縁に手をかけ、七つ拍子?で飛び込みました。
アイとワキのやり取りの後、ワキの語りですが、『鐘巻』では床机に座り、かなりジックリと間を取って語ります。
後シテは、般若の面ではなく、周りの人がつぶやいていた真蛇。シテ柱に背をつけて回る型は無く、シンプルな感じの後シテ。

最後はワキ留。
付祝言の後に鐘が降ろされ、囃子方、地謡が深々と礼。
2時間たっぷりでした。洗練し切れていない濃厚なエネルギーを浴び続けて、久々に激しく消耗しました。

黒川能に取り憑かれた、文化人や能役者の気持ちが、初めてわかった気がしました。







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