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さよなら僕らのブルートレイン

 ついにこの時がやってきた。札幌と上野を結ぶ寝台特急「北斗星」がついに廃止となることが事実上決定した。既に廃止が発表されている「トワイライトエクスプレス」(札幌~大阪)と併せ、定期夜行列車は「サンライズ瀬戸・出雲」(東京~高松・出雲市)を除き消滅する。(おそらく「はまなす」(札幌~青森)ももう長く無いだろう。時代の趨勢だから仕方ないが、北斗星・トワイライトは両方合わせて年の数ほど乗ってきたと思えるほど、自分の人生・成長期と深く関わる列車だった。これほどまでに名残惜しいと思えるような列車の廃止もそうそうないと思う。惜別の意をこめて、その思い出をつらつらと書いていく。

●北斗星との出会い

 初めて北斗星に乗った時のことは、そう言いながら実はよく覚えていない。幼少期は北海道に住んでいて、関東地方に親戚がいて往来はあったものの、母親が飛行機が苦手だったこともあり、必然的に片道は夜行、帰りは飛行機、というパターンが多かった。2・3歳の頃に親戚の結婚式に行くために乗った記憶がうっすらとある。自分にとって、非日常の世界そのものだったし、自宅の周囲数キロ圏内とは全く違う景色、風土、見るものすべて珍しかった。なんだかんだで都市部に住んでいた身にとって、車窓の東北・北関東の農村風景や、東京の巨大都市っぷりなど目を丸くするほど珍しかったに違いない。「移動することで世界が広がる」という原体験は強烈だったし、たぶん鉄オタになった原因はこの辺にあると思う。

 小学生のころになると、東京旅行と父親の帰省を兼ねる形で祖父母の家に行くために、何度か乗った。そのころになるとさすがに記憶が確かになってくるが、食堂車のディナーはさすがに高いから食べず、札幌駅で駅弁を買って車中で食べ、当時まだ珍しかった青函トンネルの解説講座をロビーカーで聞くか、青函トンネル入ったころに就寝し、早朝目が覚めたら東北の大地ほぼ無人のロビーカーでぼんやり眺める、というのことを何度となくやっていた。

●東北と東京と

 北斗星や青函トンネルのグッズを買ったり、車内でA寝台をみる度に一度は乗ってみたい、と思うようになったりもした。福島あたりで朝食の時間。食堂車で1500円の洋食を食べてまた客室でぼんやり南東北~北関東の北海道とはまた違う、ちょっとずつ人里があるような田舎の景色を見てたりしていた。JR東のエリアでは、発車メロディが聞こえることにも新鮮な驚きだった。宇都宮を過ぎると徐々に都会っぽい匂いがしだして、周りも建物が目立つようになってくる。巨大なビルの工事現場を目の当たりにして、「さいたま新都心建設中」と書かれているのをみると「なんて東京ってすごい勢いがあるのか」と驚いたりもした(埼玉だけど)

 荒川を渡れば降りる支度。とんでもなく建物が密集していることに異世界感を覚えながら、まだ長距離用の駅としての雰囲気を持つ上野に着いた。このあと日比谷線に乗り換えるのが通例?だったが、時間がある時は上野公園などをふらふらとしている。ギザギザの形状のホテルソフィテル東京をみて、「変な形のビルがある。東京ってすごい!」とガキっぽい感想を持ったり、レストラン聚楽で家族で食事したりと、なかなか地元の田舎では体験できないことで当時の自分はものすごい満たされていたのだと思う。


●人生を乗せて

 「夢の寝台特急」ともてはやされたが、実は上り(札幌→上野)は空いていたので比較的ツアーも安く、しかもA個室や繁忙期とかでなければ切符が取りやすかったので、自分の強い意向?もあってしょっちゅう利用させていただいた。子供のワガママと親の利害が一致する希有な事例かもしれない。とはいえ人生晴れた日ばかりではない。中学の頃、祖母の訃報を受けて、急遽乗ったのも北斗星だった。父親だけ先に飛行機で行き、宿の確保等の問題もあり必要に迫られて乗る、という経緯だった。葬儀の後も後始末等で慌ただしく、結局帰りも北斗星(小樽・倶知安回りのニセコスキー号)だった。祖母も旅行好きで、80歳過ぎてもシルクロードに行っていたり、たまに行くと色々優しくしてくれて、たまらなく、やるせない気持ちになっていた。悲しみ、というと陳腐な表現かもしれないが、考えがまとまらない何かを考えつつ、ぼんやり薄明かりの噴火湾の車窓に目をやっていた。

 ひょんなことから、念願のA個室「ロイヤル」に乗れる機会がやってきた。高校の頃、法事で東京方面に行く時に、誕生日プレゼントいらないからロイヤルに乗りたい!と(確か追加は1万円ぐらい)言いだしたら、旅行会社の人も驚いたことに案外切符が取れてしまって、初めて乗った。アメニティやシャワーなど、ウキウキ気分で見てたら、アテンダントがウィスキーとワインまでくれた。こっちは未成年なのにwww(未成年で飲酒したと言っているわけではないですよ)

 このロイヤル乗車中に、ちょっとした珍事が起きている。乗ったのは北斗星2号だったが、強風で機関車のパンタグラフにビニールが絡まり遅れまくり、後続の北斗星4号に追い抜かれたのだ。3時間ぐらい遅れても特に急ぐ用はないしむしろその分ロイヤルに長く滞在できてラッキー、ぐらいの感想だった。しかも特急料金が払い戻しされたそうな。

進路を決める

 高校生にもなると、親と過ごす時間よりは友人と過ごす時間の方が濃密になってくるものだ。というわけで、友人と北斗星に乗るという機会もあった。高3の夏、友人達と東京の大学を見学するために北斗星に乗って東京に出かけた。先述の通り、LCCも無い当時1日2往復走っていた北斗星は北海道側からは飛行機利用よりも安い場合もあった。上野に11時過ぎに着くために特に安い北斗星4号を利用したツアーパックに小遣いをためて乗り出した。

 それは家族で乗るのとはまた違う体験となった。特に高校生の金銭感覚であれば、駅弁すら高くつくということで、札幌駅ラッチ内のロッテリアで食べ物を買いこんで、他愛もない世間話をしたり、受験生っぽくいろいろ不安や情報を交換したり、食べ物でも会話でも、それは非日常というよりむしろ日常の高校の会話の延長だった。自分は当時文系だったものの同行の友人2人が理系だったため、本郷や三田だけでなく、大岡山や神楽坂までついて回るはめになった。土地勘も強くない見知らぬ都市で、ぐるぐる回ったせいかは宿泊先の品川プリンスではグダグダと喋りつつ、今から思えばかけがえのない時を共有した。

 自分は駒場のオープンキャンパスに参加するために少し滞在を延ばしたので、2人は先に帰っていった。観光的要素はあまりなかったが、後にも先にも友人と乗ったのはこの時だけだったのでこの時のことは強く覚えているし、やっぱり大学ってすごいな、とも思った。オープンキャンパスで話を聞いた先輩方の大学生がすごいカッコよく見えたりもした(体験授業で居眠りしたのは秘密)。ちなみに大学を見学してモチベーションが上がったのか、その後友人達は受験期を乗り越え見事希望の大学に合格したらしい。めでたいことで。

●旅立ちの時

 さて、自分の方も後期試験までもつれ込んだが合格発表で思いがけず?合格し、希望の大学に進学することが出来た。滑り止めの私大には受かっていたので、ついに一人暮らしである。受験の後は時間もあるしせっかくだしのんびり行きたい、というのと、学割なら実はそこまで航空券と値段に差が無いのもあって、長年住み慣れた故郷を離れ、東京の地に行くときも北斗星を使った。2006年のご時世で夜行寝台に揺られ上京した、というのもなかなか珍しい話だろうか。第1志望の大学の合格発表の翌日という慌ただしいスケジュールだった。

 1人で北斗星に乗る、というのもこの時は初めてだったし、さらに合格直後で気持ちは高揚していた。お祝いで贅沢にということで食堂車のパブタイムでジュースでひとり乾杯をした。B寝台は、昔ながらというか、見知らぬ人とも相席になるので、福島で降りるというおじさんとも世間話していた。大学進学で上京するんです、と言ったらしみじみ懐かしそうな顔をしていた。北斗星で乗り合わせる客は、皆、それぞれの人生が流れているのだろう。

 上野で降りて、高田馬場の不動産屋まで山手線で行ってカギを受け取って、京王線の八幡山というところで降りて自分の一人暮らしはスタートした。とはいうものの、諸手続きやら準備やら、特に後期合格なのでみっちりバタバタしていしまい、そのまま期待と不安を胸に、というか慌ただしいまま4月1日を迎えたのだが。

●そして、記憶の中へ

 東京には丸6年住んでいたが、その頃にはあまり多くは北斗星には乗らなくなっていた。飛行機の運賃も下がり、北東パスやら便利な切符が浸透していたからでもある。とはいえたまには北斗星に乗りたくもなり、時間をふんだんに使える大学生の特権を生かし、オフシーズンの平日は驚くほど余裕に切符が取れ、北斗星に乗車した。実は09年10月にも乗ろうとしたのだが、運悪く台風で運休になったのでその後リベンジを画策していた。そして乗車したのが2010年3月11日。この頃になると他の夜行列車が次々と廃止され、さすがに北斗星も車両のくたびれ具合を隠せなかったので、あまり先は長くないだろうな、との思いは隠せなかった。最後だとも思い、しみじみと、来し方行く末に思いを馳せながら、写真にその姿をおさめた。

 そして大学院修了後、就職で大阪に行くことが決まり、その乗車が本当に最後の北斗星乗車となった。

 冒険心をくすぐられた寝台列車の旅は、子供の頃、世界ははるかに広いものだと教えてくれた。だけど、時の流れはあっという間だ。工事中だったさいたま新都心は完成し、ホテルソフィテル東京も、レストラン聚楽も今は無い。あんなにはしゃいでたガキンチョも、もうアラサーのおっさんになってしまった。この間、確かに人としてそれなりに成長はして、世界は広がったが、一方で建設中のビル群やちょっとした農村の風景など、小さなことに感動する、ということは無くなってしまった気がする。大人になるということは、そういうことなのだろうか。

 否。さらなる世界の広がりを見つけられるようになった。おかげで旅好きになり、国内海外いろんな所に行くようになったことはもちろん、家族の中で育ち、友人達と遊び時には喧嘩をして、大学で文字通り大いに学び成長してきた。そしてその原点に北斗星があった。

 ありがとう、北斗星。



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