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二刀流の是非

なにか一つの道を究める。

それはとても素晴らしいことだし、その道のプロフェッショナルになることには、憧れもする。

ただ、だからと言って、二刀流を究めようとすることは、

そんなに非難されなくてはならないことなのでしょうか。

大谷選手の投打二刀流も渡米直後から批判的な意見が聞かれましたし、

日本にも古くから「二兎を追う者、一兎をも得ず」という諺があるように、

世間一般にあまり良い顔されない空気があるように、どうしても感じてしまいます。

でも、おそらく、そういうことを言う人のほとんどは、

余計なおせっかいを内包した親切心からだと思うのです。

上手くいきっこないよ、とか、

成功した前例がないじゃないか、とか、

「失敗する前提」でアドバイス風な指摘をしてくるのです。

その"アドバイス風"を聞いた時、どのようにリアクションするかで、

次の一歩のその先が大きく変わってきます。

「そんな風に言われるならやめておこう」

なのか

「心配してくれるのは嬉しいけれど、自分は一歩踏み出すんだ」

なのか。

「感情」を抱くのはしょうがないけれど、「行動」は自分で決められる。

前置きが長くなりすぎました。

新たな二刀流のモデルを知ってしまったので、今回、書きました。

こうやって"やらない言い訳"を潰していってくれる方の存在は、

後に続く人にとって、とても勇気になると思います。

また一人、推しが増えてしまいました。

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