見出し画像

縋りたい時に藁はあるのか

困ったとき、苦しいとき、追い詰められたとき。

ピンチに陥ったときに、人の本性が出るのだと、誰かが言った。

それか本当かどうかなんてわからないし、それを知るために自らを難しい状況に追いやる必要はさらさらないと思うけれど、どうせなら"良い人"でありたいな、とは思う。

自分自身に絶対の自信がある人は別として、ピンチになったとき、何かに縋ろうとするのではないだろうか。

それは占いかもしれないし、神頼みやお守りかもしれない。

個人の範囲からもっと広げてみると、家族や地域のコミュニティ、会社、宗教ってこともある。依存するほどのめり込むのは考え物だが、拠り所となる存在があることは良いと思うし、羨ましいとさえ思う。

考え物、とは言ったが、個人の裁量ではどうにもならないことだってあるかもしれない。アフガニスタン情勢やとある暴力団に関連するニュースを目にするとき、その思いは一層増していく。

自分が巻き込まれていないから、冷静な物言いができるのだと思うが、例として挙げた先の2つのニュースは、その存在自体を100%否定することはできないのではないでしょうか。

それはイスラム教であったり工藤会であったり、表現や名称こそ違えど、依って立つことができるという意味で、ある特定の範囲の人々には必要とされているでしょうし、必要性があったから今日まで続いてきたのでしょう。ただ、社会的にみて、どちらかというと反対派が多い理由としては、"暴力"がちらつくからだと、自分は感じています。支配か共生か、特に統制を取る側からすれば、手っ取り早いのは前者なのでしょうが、長期的に反映し、受け入れられるためには、安易な手段に流れずに「急がば回れ」で進めていったほうが、結果的には得策なのかもしれません。

。。。

何かに縋る、縋るまでいかずとも、何か拠り所にしているモノやコト、誰しも1つはあるんじゃないでしょうか。

以前にnoteで書いたと思いますが、自分は歌の歌詞なんかから、結構影響を受けているように思います。以前に、繋がりで、ハルカトミユキというアーテイストの話題に、触れたことを思い出します。

その、ハルカトミユキは、Skream!というフリーペーパーメディアでコラムを連載しているのですが、今日はその紹介を。

フリーペーパーと書きましたが、Webでもありました。

いまから8年前、2013年8月から開始した連載で、最新回で49を数えました。2か月にいっぺんの更新ではあるものの、結構な長期連載です。

その中から、気になったセンテンスを、いくつかご紹介。

批判と不幸を願う声ばかりが聞こえてくる、
でもその陰で、黙って勝利を祈り続けてくれている人も大勢いるはずだ、と。
サンタさんが枕元に置いてくれることを願っていますが、本当に置いてあったら、ちょっと怖い、、。

また、恋愛についての話題、「これは恋だと思う瞬間」について触れた中での一節。

他のメンバーが、「ふと物をみていてこの人に似合うなと思った時」と言い、自分の浅はかさに悲しくなりました。これを言ったのは男性ということがより悲しさ倍になりました。。。そんな解答したかった。思いつきもしませんでした。やっぱり言葉は苦手です。

ハルカトミユキのことをご存じでない方のために、少し補足をすると、作品は明るいばかりではなく、どこか諭すような、人の持つ、でもあまり見たくない側面にスポットを当てる、そんな作品がけっこうあります。自分は好きなのですが中には、触れてほしくない、そう思う人がいるかもしれません。

でも、サンタさんのエピソードも、恋愛のエピソードも、人間味を感じることができて、自分はとっても読んでいて楽しかったです。

1つ目の"勝利を祈り続けてくれている人"の存在もそうですが、そういう人がいるはずだ、と信じることで一歩が出ることもあるでしょうし、追い詰められたとき、その時に背中を押してくれるような曲も多いですので、ぜひ、これを機会に、興味を持つ人が1人でも増えてくれたらありがたいです。

最後に、第18回の一節を紹介して、今回はお別れです。それでは、また。

ミュージシャンになるための、役者になるための、脚本家になるための、その方法は一つ。
なること。

見る前に跳べ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?