自己投影

どうも、最初はなんかそれなりに、最近のYoutubeに関する考えを一般にもそれなりに共感してもらえるような内容で書いてたんですが、ある程度書いたところで、一般受けしないなぁ、というか、自分語りすぎるなぁ…という感じで2週間ほど時間を空けたら、まぁnoteで最初に書いた自分向けのnoteに良い意味で繋がるかなぁと思って自分中心で書き直した、そういう文章です。
ただ困ったことに、制限かけて公開とかできないみたいなので、そういう日記じみた机の引き出しに入れとくような文章をただなんとなく外に出すのは気乗りしないんですが、とりあえず言語化してみます。
(否定的な言葉がありますが、何かを批判目的で否定する意図はなく、単純に自分の気持ちとしては否定的だった、というだけですので、ご了承を)

そもそもの始まりはあまりYoutubeの動画やTwitter、SNSでバズってるような動画、最近で言えばC○ubhou○eみたいなものにあまり共感ができなくなった、というところからです。
まぁ自分が動画投稿者でもあるので、そういう話をするとキレイに自己否定をしている感じがするのですが、極論的にはあまり目立ちたくないなぁと思って活動しているというのが自分です。そんなことを書くと、「いやいや、じゃあ動画なんて投稿しなきゃよくない?」とか、「じゃあ何にも言わず淡々と動画あげてればいいじゃん」みたいな言葉が返ってくるのを容易に想像できるわけですが、バッサリと誤解のないように要点を示すと、
①楽しそうだから始めた
②自己肯定感が低い
③プロや仕事を目指しているわけじゃない
④反応は欲しいがそれは純粋なものであってほしい
という点になるかなぁ、と思います。
①はもはやかなり過去のことなので、今の人には伝わらないかもしれませんが、そもそものネット活動を始めたきっかけは、そこに楽しそうな場所があり、その輪の中に入りたかったからです。その当時は別にネットでの活動が仕事やプロを目指すためのプロモーションになる、という場ではなかったですし、②にもあるように元々動画投稿していく上で、明らかにセミプロみたいな、同人系の音楽やってます的な人もそれなりにはいて、その差みたいなものは感じてやってましたし、それを含めても③みたいなのは夢の夢でしかなかったわけで、もちろんそれなりに個性と呼べるような工夫はしてましたが、④のように定型文や盲目的な信者の賛同が欲しいわけではなかったんですよね。
ただ、順序や目的が逆になるとはいえ、一定の反応を得るためには一定の再生数が必要ですし、ある程度目立たなければそもそも見向きもされない、というのは当たり前の話で、そういう努力はしていたものの、最近の規模感から言うと炎上的な手法や、誇大に喧伝したり、より聞いてくれる人を意識したものにフォーカスする必要があり、なんというか、それは自分がやりたいものとは違うなぁ…と、要点的に話せば、それは本当に自分が楽しめるのか?自己肯定感が低いのに俺は歌が上手い!とか最高の…、誰よりも…、みたいな形容詞をつけて自分を売り込めなかったですし、そういうキャーキャー言われる反応が欲しかったわけでもないとなると、最終的にはモチベーションだけが下がっていった、というわけです。
んー…と、まぁそこらへんの詳しい話は一番最初のnoteに書いてあるとして、結局どこまで話を戻せばいいのかというと…、そうそう、極論的にはあまり目立ちたくないってところですね。つまりは、今、現状、自分が動画を投稿しても視聴者(数)は限られてるわけじゃないですか、それを増やそうと思ったらウケやすそうなところにウケやすそうな動画を作って、目立つように題名やサムネを作って、必死にSNSで拡散させる…みたいな作業をしなきゃいけない、いや、するべきなんだと思いますが、自分はしたいと思わなくなった、という感じです。まぁそれらの否定をしたいわけではありません。自分もそういうのはやってきましたし、そのおかげで10万再生や100万再生した動画もあるわけですからね。ただ純粋に音楽を楽しんでいたところから随分と距離があると思ったのは事実です。ウケを意識して、クオリティを上げ、動画やサムネもかっこよくして、SNSでストレスを溜める…、それは本当に追い求めてきたものなのかっていうのが動画を投稿するたびに考えるようになるのは苦だ、というのが現実としてあるわけです。

さて、自己肯定感が低いと最終的には湿っぽくなるんですが、若者のパワーに対して肯定的になれない老害化が進んでるんだと思います。
まぁある種のタネ明かしみたいなものなので、こういうことを書いちゃうと、あ、流行りに乗ってウケを取りにきたんだな、とか思われそうで後々に自分の首を締めそうなんですが、結局最近忙しくモチベが低いと流行ってる曲じゃないと目にせず、耳にしないんですよね…。なので個人的には流行りに乗ったというよりも流行ってる勢いで形になった、っていうのが正しいとかなんとか…駄文はこんなところで

追記:2021/03/29___________________
最初に書いてから寝かせて、また書いた後に少々長くなりすぎたなぁ、ということと実際に自分はどう考えてるのかなぁ、ということも書いておこうと思い、追記しておきます。
これは一番最初のnoteにも書いた、と上記していることともかぶるのですが、僕が動画を投稿し始めた時、ハッキリと言えば、それはちょっと音楽が好きな学生でしかありませんでした。もちろん多少の音楽経験はあっても、歌が上手いわけでもなければ、DTMやMIX、機材の知識はゼロで、その当時の限られた本や雑誌、ネット上のまとめを見て四苦八苦して投稿してました。ただ、音楽は好きで、ニコニコ動画みたいな(限られた)空間の輪の中に入りたかった、というのが投稿の動機です。だからこそ、面白いことをしようという考えはあっても、俺は歌が上手い!俺は面白い!という主張をする気にはならなかった、ということなんです(当時はそんなことをしなくても一定の視聴者層が確保されてたのもありますが)。それは自分の動画に自信を持ち合わせてなく、だからこそMIXや絵や動画を他の人に頼む気にはならなかったし、結局誰1人それらを手伝ってくれる人は出てきませんでした。そしてそれこそが僕自身の魅力の無さからきているというのも十分に理解しています。そういう風に閉じこもった結果が、最初のnoteに書いたような現状です。念のために付け加えますが、このnoteにおいては別にそっち側を否定する目的などはないです。単純に僕が十何年活動してきたこととそうだよなぁ…って思ったこと、というだけです。
追記:終了______________________

こっから下の文は、書き直す前の文章です。単純にYoutube(Youtuber)が肌に合わないっていうどうしようもない文章なんですが、上の書き直した文と合わせれば、あぁこういうことが言いたいのね、ってわかってもらえそうな気がしますので残しておきます。
そうなると、ここは締めに入ってますが、文の途中…それでもここまで読んでくれた人はおそらく珍しい、もしくは結構昔から知ってくれてる理解のある限られた人だと思いますので、よければいいね(スキ)を押してもらえると、モチベーションが上がりますのでお願いしたいところであります。







皆さんいかがおすごしでしょうか...
ニコニコ動画の衰退ぶりにノスタルジーを感じつつ、最近のYoutubeや新しいSNSには全くついていけない自分を振り返ろうと思います(わりと個人的な内容です)。

なんというか、ニコニコ動画は廃れ(何度目)、Youtubeや新しいSNSへと娯楽が移り変わったわけですが、昔のように入り浸るようには動画を見なくなったわけで、それはもちろん自分の環境が変わったのもありますが、りYoutubeでの動画を好きになれてない、という気がします。
それはどんな理由で、何故なのか、とりあえず言語化しておこうかな…、と、最初に言っておきますが、あくまで僕が個人的に思ってることであって、別に同意を得たいとか、公然と指摘することによって否定的な意味合いの批判をしたいという話じゃありません。なんで僕がハマってないのか、の「理由」だという話です。

①自信満々な人が嫌い(自分の自己肯定感が低い)
もはやほとんどの動画投稿者はYoutubeへ、若い世代はインスタ、Tiktokへと流れていったわけですが、めちゃくちゃ競争が激しいからなのか、クオリティや有用性が求められ、陰キャオタクだけでなく、陽キャからも支持されるには堂々と顔も出す(これはもちろん商業的な側面もあるから)…、そういうネット社会になりつつあるわけですが、まず自分はそういうのが好きじゃなんですよね。
陽キャがわいわいやってる動画とか、あからさまに性を意識させるようなサムネとか、顔とマイクが画面いっぱいに広がる動画とか
それがウケが良くて、動画を再生させるのに効果的、というのはわかってはいるものの、なんか違うな、と思ってしまう。
視聴者に対する媚びというか、こういう動画が見たいんだろ、っていう歪み具合が好きになれない。なんというか視聴率を取るためのテレビ化に近い気がするわけです。もちろん、そういう気がなく今の若い人の多くはネット上に顔を出すことに抵抗がない、というのもわかるんですが、全世界の人が見れるネット上に顔を晒すことってよほど自信があるか、勢いでやってるか、ともかくそのノリに自分がついていけてないんです。

②検索がしづらい
Youtubeってあまりにも膨大すぎるのと、一定のルールが存在しないので見たい動画を見つけづらい。関連動画は表示されるけどその時みたいマストではないし、それをそのまま見てると違う方向へ流れていくのが不便。なんとなく流し見をするのには最高だと思うんですが、〇〇から枝分かれしたちょっとニッチな動画が見たいって時には苦労するわけです。
何らかのタグ付けが出来てたとしても量が多いのと、クオリティの有無を判断できないシステムというのが手間でそれにプラスして広告があることによって、よし、こういうのを見るぞ!って気構えないと見るまでにいたらない…と
これはニコニコ動画の規模感と、ランキングシステムが優秀だったと思います。もちろん自分もそれに慣れてたっていうのもありますが、パッとカテゴリーを見れば、新作と伸び具合がわかって、動画名もわかりやすく名前がわかる。また、なんとなくサイト内での流行もわかりやすいですし、流行り始めから追える、というのも利点でした。

③コメントがつまらない
必ずしも昔のニコニコ動画のあの雰囲気が好きというわけではないんですが、あのコメントとそれが流れてくるシステムに慣れてしまった自分にはYoutubeのコメント欄は自由帳過ぎる。
まぁニコニコ動画もコメントの陳腐化が話題になったりしてましたが、そういう話とは別に、何かが違うと感じます。何年も前ものコメントだったり、返信が視覚化されてたり、ある程度の長文だったり、Youtubeの層が広いせいであまりにも無関係なコメントに見えたり、そしてそれが少し物足りなく感じるんですよね。


これら最初にも書きましたが、別に批判する意図はなくて、個人的にもやっとする部分というだけです。もちろんそれはニコニコ動画に慣れ親しんだ自分のバイアスがかかってますし、最近の若い人の受け取り方が違うというのは理解できてます。
ただ、視聴者としてだけではなく、投稿者として割り切れない自分がいるのは事実です。もっと自信満々にこれが俺の動画です!動画が視聴されるためにどんなことでもする!という何でもアリなやり方が手段としてありながらも、そこまで自信満々にはなれないし、そこまでアイデンティティを捨ててがむしゃらにやっていく元気もないというのが、更新頻度が下がってる原因でもあります。まぁこれはニコニコ動画での活動の後半でもそうだったんですが、反応を求め、視聴数を増やすようなテクニックを使うしかなくなると、それは自分の自由の枠を狭めていくんですよね。

…とまぁ、特に考えもなく、自分の考えを書いてみたんですが
気がついたこととしては、自分は人気者になりたいというよりは、他の人に見てもらいたい、他の人の評価が知りたいっていうのが大きいのかもしれません。
今の若い人が何を思ってYoutuberやTikTokをするのかはわかりませんが、自分はヒカキンを目指したいわけでも有名になって仕事や稼ぎをしたいわけでもない。もちろん多くの、特に夢や希望にあふれる若い人がそれを望むのはわかりますし、自分だってなれるチャンスがあれば挑戦するだろうとは思いますが、そこまで自信満々に夢を追いかけるほど自分を評価していない。
そして、そんな違いを指摘しながらも他の人から評価されるためには、人気者になった方がいい、という矛盾が部分的に存在しているというのが事実であり、自分が悩んでる部分でもあります。
ただ自分が少しだけズレていて、人気者や金を稼ぎたい、という純粋さではなく、自分を見てもらって評価を知りたい、そのためには人気を求めなくてはいけない、というズレが、今のYoutubeやSNSにはなくて、昔のニコニコ動画にはあった、そういう話なのかな…という気がします。
2007年~2009年ぐらいのニコニコ動画はやはり規模が小さかったので、ある流行ってるコミュニティで自分が動画をあげれば見る層が一定数確保されていましたし(個人を追ってるのではなく、そのカテゴリーを追ってる人が一定数いた)、別に一銭にもならないのであくまで趣味でしかなかった、というのはあります。
…と、ここまでは懐古厨でしかない気がしますが、よく考えると、もはや見てもらうことや評価をもらうことは人気を得ることやクオリティを高めることと表裏一体になったんだなぁ、としみじみ感じますね。
見てもらうためには、自信満々に俺は面白いから、才能があるから、見てみてください!って宣伝しないと、その他大勢からパイを奪えない。しかも相手はプロもいるし、競争人数も多い。めちゃくちゃ陽キャな世界だなぁと思います。陰キャな自分としてはキツイ…そこまでイキって自分を魅せたいわけではないんですよね。

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