目には青葉

note、閲覧してはいたものの、自分で投稿をしないまま1年近く放置してしまいました。

文章にすると堂々巡りになってしまうことを心配したり、自分はもしかしたら、今まで自覚しなかっただけで文章が苦手なんじゃないかと思ったり、書こうかな、でもなあ…を繰り返しておりました。

一番の理由はもっと優先すべきことがあったからなのですが、一旦書いておくなら今だな、と思い記しています。

きっかけとなった出来事としては、先日、学生さんの書いた記事を読んで、みずみずしい文章だなあ、という感想を抱いたことです。

そういった感覚が分かるようになったことが嬉しくないわけではないのですが、一種の寂しさを覚えました。その頃にしか書けない文章があったな、って。

敢えて説明を加えるならば、のびやかで、若葉に例えられるのも理解できるような生命力があり、多方面に配慮しすぎていない文章(対極にあるのは、「こういった読み取られ方をする可能性があるので、もっと違う表現にしておこう」とこだわった結果出来上がった、自分の本心からはやや離れているが綺麗な文章)に羨ましさを感じたと言ってもいいでしょうか。

自分が学生のころは、自分たちの作った文章に対して大人たちが言う「みずみずしい」という感想を理解できず、青くて未熟であるというふうに捉えて内心反発を覚えたものでした。

でもそれは悪いことではなくて、大人になったら再現したくてもできないことが多いから、大切にしてほしい感性だったと、今になって分かりました。

学生時代に限った話でもなく、20代にしか書けない文章だってあるはず、と思い、残してみようかなという考えに至りました。したがって、今後も何か考えついたらできるだけ記録していきたいと思います。

最後に、前述のエピソードと関連して、記憶の片隅にあった短歌が思い出されたので、記しておきます。タイトルにしているところすみませんが、初鰹の歌ではありません。

円形の和紙に貼りつく赤きひれ掬われしのち金魚は濡れる/吉川宏志

*水の中にいるときよりも、掬われてから和紙の上にいるほうが、金魚は濡れている、ということをはっきり認識します。


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