不安/疑念とか_2020/8/25

なりたい自分像を掲げてみても、漠然とした不安に駆られ、自分が変わったところでどうなのか?ただの自己満足じゃないのか?という疑念がぬぐい切れない。
まずは行動してみることが大事、行動を積み重ねればきっと変われる、今だって前進している、という励ましもあるが、頭では理解しようと努めるものの、やっぱり不安なものは不安。
でも、自分の頭の中だけで考えるよりは行動したほうがはるかに良いということは分かる。自己解決できたとしても、自分は納得するかもしれないが、その結論が必ずしも自分を良い方向に導くわけではないから。

大げさな目標ではなくて、自分はどうなりたいんだろう、と考えてみると、
ずっと、ストイックになりたい、と願ってきた。
そんな願いがあるからこそ、自分に甘いのはいけない、自分に厳しくしなければならない、それができない自分はなんてダメなんだろう、といって自分を追い込んできた気になっていたのだけど、自分にダメ出しをし続けた結果やる気自体がなくなってしまうことが多々ある。
自信の無さから生まれる不安ばかりに気を取られ、本来取り組むべきこと、(またはやりたかったこと)にきちんと向き合えないことが本当に多い。
分からないのに、嫌われるのが怖くて質問できないとか、話を聞いてもらっているのに、緊張で相手の話が全く入ってこないとか、
やってみたいけど、怖くてできないとか、家事をきちんとすれば快適に過ごせるのに、不安を抱えた自分を癒す名目で全て放棄するとか(結局自己嫌悪につながるのでよくないし、どうせ自分なんてこのレベル、理想とは程遠い、となってしまう)・・・・。
アクセルとブレーキを同時に踏んでいるから、つらい。そしてそれは、脳にも負担らしい。

ストイックになりたい、というのは、自分を苦しめたいということではなかったんだ。不安に流されず、やるべきこと(ここでの意味合いは、自分にとってプラスになること)を次々とこなしていきたいだけだ。自分でハードルを高くしすぎずに、どんどん超えていって、成長したいと思う。
純粋に、もっと自分を良くしたいのに、批判されたくないし分相応でいいとか、傷つきたくないとか、色んなブレーキがかかっているところ、それが外れればきっと今より生きやすく、成長のスピードもあがるんじゃないかと予想する。

そのブレーキが過剰にかからないようにするには、不安とうまく付き合っていくことが必要。

「不安エネルギー」を使ってハードスケジュールにする、と言うのもありなのかもしれないが、長期戦には向かないと思う。試験勉強の追い込みならまだしも。
不安エネルギーがポジティブに変わるまで走り続けられたらいいのだが、オーバーワークではいつか体調を崩すし、そのときにかならず自分を責めそうである。
今までは、不安があるならそれをエネルギーにするしかない、と思ってていて、でもそれはゆくゆく辛くなるだろうと予想できて、やりたくなくなっていたのかも。

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