遡及的に_2020/11/8
自分自身が存在していること、気持ち悪いな。自分の思想とか感情とか文章に現れているのを見ると、さらに気持ち悪い。後になって、記録に残して良かった、と思える日が来るであろうことは分かる。実際にそう思ったこともある。しかし、その日が来るまでの間は、その記録を削除してなかったことにしたいという思いと闘うことになる。
今だって、これまでの投稿をすべて消してしまいたい思いに駆られている。
時々、文章のみならず、自分の存在さえも、シャボン玉が消えるみたいに、突然跡形もなく消えてほしいと願う。辛いこと、嫌なことがあったときはなおのこと、特に理由なく、ということも多い。それは、死にたい、という言葉で口をついて出てくるが、自殺を考えるとかそういうのとも違っていて、はじめから自分は存在しなければ良かったのに、という願望の現れというほうが近い。死ぬ、というのは自分が生きていたこと(存在していたこと)が前提としてあるから、その事実さえ抹消したい。
なぜ消えたいと思うのか、よく分からない。タイミングとしては、誰かを不快にさせる、迷惑をかけるなどして自分の発言や行動への後悔の念が生まれたとき、期待していた結果が得られなかったとき、特に、自分はもっとできる(できなければならない)と思っていたが上手くいかずに自分に失望したとき、が多い。きっと、そんな感情や自分の失敗も含めてなかったことにしたいのだろう。消えたいとか落ち込むだけでなく、どうすれば今後ミスを防げるか、どんなやり方ならうまくいくのかを考えたほうが良い、という指摘は何回も受けてきた。
(ここから、死について)自分が死んでも、自分の持ち物は残り続けるし、関わりのあった人たちの記憶の中には私の存在が残るのだろうが、それらが私の死と同時に一瞬で消え去ったとしたら、私の存在はなかったことになるのだろう。
ただ、仮にそうだったとしても、死んだ私には知る由もないことだ。よく、あなたが死んだら親や友人は悲しむだろう、という言葉があるが、死後の本人にとっては、悲しんでいるかどうかは確かめようがない。そんな、事実確認もできない誰かの感情より、今まさに感じている、死にたいほど苦しんでいる自分の感情に従いたいのではないだろうか。
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