苦手なカナさん

カナさんがうちの隣に住みはじめたのは多分私が小学校高学年のころ。私には接点がない人だったが、母はご近所付き合いにおしゃべりくらいはしていたらしい。
中学生になり、同人誌やボーイズラブにどはまりしていたころの私は茶の間でその手の漫画を読んでニヤニヤクスクス笑ってるようなやつだった。休日好きなものを読んでゴロゴロしてる横で、母とカナさんはおしゃべりをしていた。
漫画を読んでクックックと声を出して笑っている私を見てカナさんはこう言った。
「漫画読んで笑っちゃう子って、寂しがり屋なんだよね」
そんなこと聞いたこともなかったことだが、そんなふうに言われたのは恥ずかしかった。否定するのも肯定するのも悔しかったので知らんぷりをした。
それで嫌な印象を持ったというわけではなかった。むしろボーイズラブ漫画を読んで声出して笑ってることの痛さに気づかされた。

数年後、カナさんは赤ちゃんを産んだ。
その頃私は甥っ子が可愛くてよく遊んでいたので、赤ちゃんを連れてうちにきたカナさんをどうぞどうぞと招き入れて遊んでいた。
カナさんは育児ノイローゼになったらしく、赤ちゃんが6ヶ月になってすぐ保育所に預けていた。夕方お迎えに行って旦那さんが帰ってくるまでの時間を赤ちゃんとふたりきりで過ごすのが辛かったのか怖かったのか、その訪問頻度は増えていき、毎日来られるまでそんなにかからなかったと思う。子供を産んだことも育てたこともない私に、思い詰めたように話し出しては、私は甥っ子との僅かな赤ちゃんの知識とも言えないそれでなんとか宥めていた。
はいはいをする赤ちゃんが色んな物に手を伸ばすのでそのたびにカナさんは慌てて「ダメだよ!」と引き戻す。赤ちゃんは楽しそうにまた興味があるものへ進んでいく。
そんなに気にしなくても、ちょっとくらい物をいじっても大丈夫なのにな…
私が彼女は気にしすぎなところがあるなーと思っていた中、同時に「何故これは気にしないのか」と疑問だったことがある。
それは先に書いた我が家への訪問頻度で、平日毎日来る上に夕食準備をしている時間帯に来るのだ。通す部屋も暖房が効いていて広いところへ…とどうしても茶の間になるので父や兄は我が家なのに気を遣っている。
はじめは育児ノイローゼになったくらいだからとか、私で良ければ気持ちを軽くしてあげようとか思っていたが、訪問と悩み相談が続くうちにこちらがまいってきてしまった。
赤ちゃんが大きくなってしっかり歩けるようになったらお散歩に付き合うようになった。というのも子供がすっかり私と遊ぶことを覚えているので散歩に出ると我が家の玄関をさっさと開けて入ろうとして来る。カナさんは「こら!勝手に入ったらダメ!」と言い聞かせているが毎日玄関を開ける音がする。こちらも時間はあるし子供は可愛かったが、いい加減夕飯準備をしているところに上げるのが嫌だったので散歩に付き合った。
カナさんはよく私に「すごいね、慣れてるね」と言っていた。転んでもちょっと危ないことをしても平気な程度にはサポートしていたし、怪獣みたいな甥っ子より全然簡単だっただけのことだったのに、繰り返し同じようなことを言われるのも嫌になっていった。

私が少しずつカナさんが嫌になっていったのは読んでいる方には伝わったかなと思う。
このあたりから私は母に愚痴を言うようになった。いつもの、子供が玄関に走って来る音がする時間になると憂鬱になった。しょっちゅう「お礼です」と持ってくるロールケーキもうざったくなった。

ついに嫌になった。

た、た、た、た、ガラガラ…パシン、
「こら!ダメでしょ!!」

家の中は電気がついているし夕飯のにおいもしている。
そんな状態で、私と母は無視を決め込んだ。なんとなく静にして出て行くのを待った。
毎回「ダメでしょ!」と言っているカナさんは諦めて子供を連れ戻して玄関を閉める。それを数日繰り返した。
頼むから諦めてくれ…嫌がってるの伝わってくれ…
やんわりと断ることもせず、ある日突然無視を決め込んだ私は後ろめたさを感じていた。
しかしもうやんわり言うほどこちらが優しくなれなかった。
断らないからって夕飯どきに毎日来るか?
悩みを言い出したと思えば昨日も一昨日も聞いたようなことばかり。慰めを求めているのか?
子供が勝手に玄関を開けて、こっちが「どうぞ」と言ってくるのを狙っているとしか思えない。
お礼に何かあげたいからと家に招き、貰っても微妙だな…というアクセサリーを無理矢理選んで、帰ろうと玄関を閉めたら秒速でガッチャと鍵を閉められ玄関外の電気まで消されたりした。
カナさんと接していると常識が欠けているのがそこかしこに見えた。やたら声が大きいし背中を叩いたり腕を掴んだりするし、車ですれ違うとクラクションを容赦なく鳴らしてきた。そんな人に同情で優しくしていた自分も、ちゃんと気付かなかった自分も、うまくフェードアウトできない自分も、甘えてくるカナさんも、ポケっとしている母も、いろいろと嫌になった。

無視をし続けてとうとうカナさんはこう言った。
「ホラ、おゆうちゃんはサトルのことが可愛くないんだって!!」
ああもおおぉぉおお!!!
子供は可愛いの!カナさんが嫌なの!
ひとくちゼリーのゴミをそこらへんに投げ捨てるカナさんが嫌なのー!!!

*************

と、ここまで書いてまとめ切れなくなりました…。

カナさんはその後こちらの迷惑を察してくれたらしく来なくなりました。
しかし会うと普通にあの大きな声で嬉しそうに声をかけてくる…スーパーでお母さんにおっきな声で呼ばれるような恥ずかしさがある。
「いいねえ、細いねえ。大丈夫?」
何回も言われてるのでいい加減返しに困って、アハハと笑って済ませている。

私の中ではすっかり「苦手な人」としてカテゴライズしているカナさんだが、私にも得るものはあった。
・しつこく行ったり、言ったりしてはいけない。
・相手の好意にやたら甘えてはいけない。
・声量は調節した方がいい。
・相手の体にあまり気軽に触れるべきではない。
・何度も同じような相談をするべきではない。
・相手と比べて自分のコンプレックスを嘆かれると困る。
・会うたび声をかけずとも、目があったら会釈くらいで全然良い。

人間関係についてはボーダーラインが難しいことも多く、コミュニケーション能力が低い私には難易度が高いことも多い。
グイグイいっちゃうと良くないな、ということだけは心にいつもとめているので、とりあえず大人しくしておこう…というのが私。
お友達として好きな相手に、好きなのでもっと仲良くなりたいという態度をとるのも下手なのでいつも薄い氷の上を歩いているような気分。こういう冗談を言っても良いのかな。今は会話に割り込まないほうがよさそうかな、なんて。
実際、付き合いだけは長いのに相手の現在の状況を全く知らない(聞かれたくなかったらどうしようとか、今忙しかったら悪いな、とか考えてメールのひとつも送らない)というのが多い。夫には「なんで聞かないの??」と不思議がられている。
もしも自分が苦手がられていて、それを相手が私に伝えられてなかったらどうしよう。私は苦手に思われているかを汲み取れてる自信がないのでついつい遠くからそっと覗いているようなポジションにいる。それすらもストーカーっぽさが出ている気がして申し訳ない。
「お元気ですか」の一言も、元気じゃなかったりフツーくらいの状態だと私自身答えに詰まるのであまり言えない。
「頑張ってね」はもってのほかで、私が好きな人はそんなこと言われなくたって頑張っているからわざわざ言うのは失礼かと思って言えない。
いつも相手にはわからないところで(健康状態や精神状態は芳しいですか…時々あなたを思い出して気にしてますが、連絡するでもなく考えてるだけで気持ち悪くないですかすみませんでした~)とテレパシーだけ送っている。多分相手には伝わってない。

以前は出会う人のことはみんな「好き」から入れた。良いところを見て、ちょっとこれは困ったなっていうところがあっても良いところを見てとにかく好きでいようとしていた。
信じたくて信じていた。
今回書いたカナさんとは別に、私が人間関係で思いっきりこじれてグチャグチャになった人がいる。最近テレビに出るようになったお笑い芸人がその人にそっくりでウッとなる。
考えがまとまったらその人についても書きたい。

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