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あなたの「これだけ」は、誰かの「こんなに」かもしれない。

夫は台詞をあてるのが上手い。
まだおしゃべりができない我が子の喜びや怒りを、からだの動きや表情にあわせてあらわしている。
「もー!これ!これが!うまくいかなくてー!イライラするわーっ」
とか、
「あら?美味しい…これ美味しいわ…もっとよこしなさいよっ」
とか。

人に限らず、いろんなものに台詞をあてる夫。
給水してくださーいと音がなる空気清浄機に水を足して、ゴクッゴクッと水が流れていく様子を見て、
「あーーっ。飲んだ。まったくもう早く気づきなさいよね」

洗濯が終わって、うっかり干されず床に落っことしてしまったガーゼを見つけて、
「私…いつも忘れられる…」←小さいガーゼなのでしょっちゅう落っことしたり洗濯漕に忘れたりしている。

娘が遊んではだかんぼのまま放置されたお人形に
「そろそろ寒い…」
といって服を着せたり。

稼動させている扇風機を娘が歩いている拍子にぶつかって、風を当ててもしょうがない方向をむかされてしまっているのを見て、
「こっち何もないです…」
と直していたり。

台詞にとどまらず表情も真似たりする。
カラスが落として行った食べかけの柿の表情とか。
真似るのは大抵若干目が死んでいるような表情なんだけど、面白い。

私も影響されて台詞をあてるようになった。
そしたら娘まで台詞をあてるようになった。
夫は誰かに影響されたのかはわからないが、知っている限りではお姉さんも台詞をあてるのが上手だ。





夫は多分そんな深い意味もなくやっていることなんだけど、私にはもう台詞をあてられたガーゼや扇風機を見ると「なんか言ってる気がする」とか想像を膨らませてしまうようになった。
深い意味を持っていないだろうことは普段の夫の様子を見ていて思うことで、というかそんな不思議ちゃんかよっていう話をしようもんなら「は??え???」というまじで理解できなくて困ってますという返事をされる(のでもう言わないでおいている)。





私の中でこれに関連している話として「マジック」がある。
私はマジックの種も仕掛けも見抜けないし、なんだったら見抜く気がない。
夫はというと、じっと観察して種も仕掛けも暴いてしまう。
暴けるせいだろうが、ちょっとしたマジックで娘や近所の子に驚きを与えたりすることができる。
右手持っていた物が、いつのまにか左手へ移動しているという、やってる本人は造作もないことなんだろう。
近所の女の子はそれを見て、
「……!!!まじゅつ…!!」
と目を見開いていたそうだ。

誰かを楽しませたり驚いた顔を見るのが好きなようで、夫としてはきっとそれだけのこと。
でも「まじゅつ」を目の前で見たあの子の高揚を思うと、夫のしたことは結構すごいことだぞ?と思いはするけど、言わない。理由は先に述べた通り。



ここで、タイトルに繋がります。
あなたの「これだけ」は、誰かの「こんなに」になりうること。

夫へ、夫のしたことに感動した!とどれだけ熱く伝えたところで「そう?そうかな~?ほめすぎじゃない?そんなすごいことじゃないよ」と返ってくるので、それどころかちょっと引かれてるくらいの時もあるので、やっぱり本人としては「これだけ」なんだと思う。

日常にはこういうことが結構あって、落ち込んでいるときにたまたま笑っちゃう動画を見てなんかありがとー元気でたわーとか。そういうの。
(逆もありうるけどね…喜ばせようと思ったんだけどそうでもなかった…とか)

ネガティブな意味での「これだけ」「こんなに」もあるけど、しょーがないわと思うしかなかったりもする。
しょーがないわ、にたどりつくまで私は長かったなぁ…。
しょーがなくねえよ!!ってなることもまだいっぱいある。



うん。

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