見出し画像

観念は無視か忘却をもって消滅する

もう2年が経ちました
マスク生活にもきっと慣れてしまったのだろうと思います
なにかするたびに消毒をしなければ気がすまなくなった人もいるでしょう
もしかしたらお店に行ってレジにビニールシートがぶら下がっていなかったら、かえって驚くようになってしまったかもしれない
ラーメン屋のカウンターにアクリル板が立っていなかったら、むしろ違和感を抱くようになってしまったかもしれない
ただ、私はみなさんに、これは昔からそうだったかのように勘違いをしてほしくないのです

あくまで一昨年から人が為している異常事態のただなかにあるのであって、これから一生、未来永劫子々孫々マスクをつけて生きる覚悟など決めてほしくないのです
どれもこれも「今だけ」「今だけだから」「今これを乗り越えなければ」と言って いつまでが今だけなのか明かされぬまま協力を強いられ、協力しても協力しても、もう協力しなくていい日は見えず、協力したらそれを既成事実に要求はさらにエスカレートする
飲食店を営業したり催し物をおこなうのに何時までいいかとか何人までいいかなどおうかがいを強いられるなど自由主義陣営たる日本で考えられることではなかった
こんなことを2年も続けてきて今この街の風景があるのです

忘れないでください
あなたの格好もこの街の風景も異様なのです

これはなんなのですか?
これが感染症対策なのですか?
私たちの生活や人生は不要不急なもので、なにかもっと大事なことがあったら こんなことがまかり通るものなのですか?

一昨年の一月に上陸してきたのウイルスではありません
今蔓延しているのはオミクロンではありません
一昨年上陸してきて今なお蔓延しているのは「コロナ対策」というお題目の狂気と抑圧と全体主義でした

昨年は予防接種ができたのでこれを打てと求めてきました
ウイルスじたいは発見されぬまま、あるものと仮定してワクチンと称する治験中の薬を非常時であると言って打てと求めてきました
それでも当時はこの注射を打てばコロナは終わるのではないかと思って注射を打ちに行ったのではないでしょうか
ところがご存じのとおり2回といっていたのは噓でした
今は3回目を打てと、子どもにも妊婦さんにも打てと言ってきています
本当のところ嘘とわかって嘘をついたというよりは、打てという人も わけがわかっていなくて見切り発車で、その場しのぎの言葉を口にしただけなのでしょうが、人体に正体不明の薬物を投入するにあたって結果に確信など持てないのにやってみようなどというのは人体実験と言うのであり、現に、倒れようが死のうが自己責任にして打ち続ける無法と暴力は今に至っています

人体実験に応じない人には生きづらい世の中にさせてやろうというワクチンパスポートですが今は「2回では足りなかった」といって大勢の人が3回目を打つまで停止して次は3回打って初めて有効となるパスポートにするのを待っています

3回打って自由になりたいですか?
2回打って自由にならなかったではないですか
なぜなら2回打ったからです

マスクもワクチンも検査もアホらしい生活様式も「コロナ対策」というのは協力すればするほど要求はエスカレートする一方で、自由も権利も自分の身体も差し出して、その果てにいつかコロナが終わるのかというとそんなことにはならないのです

なぜならコロナは感染症ではないからです
PCRという方便で感染症対策をよそおい、みなさんに馬鹿なことをさせて それに慣れさせる
コロナとは観念であり、あるのは「コロナ対策」という狂気と抑圧だけ、そして人間を調教し支配と搾取を完成させようという何者かのドス黒い欲望があるだけなのです
コロナとは観念でありますから、みなさんが無視をするか忘れるだけで見向きもされなくなり、実態を失います
だから「コロナ」は「ここにいるよ」と「対策」を蔓延させメディアはセンセーショナルに報道し続けます

協力すればするほどエスカレートするだけで終わりのない「コロナ対策」、無視をするかあるいは忘れられるだけで存在し得なくなるコロナという観念
だから理不尽な要求を拒否すること、協力しない、無視をすることだけがコロナを終わらせるのです

これは大変難しいことではあります
たたかいです
今やマスクもワクチンもPCR検査も現代の国民精神総動員に協力するか否かを私たちに迫るいわば踏み絵として機能しています
たたかいに勝利するまでの間、あなたも私も反社会勢力のレッテルを貼られ、あらゆる制裁をこうむるでしょう

しかし、わが国はもう戦争をしない国になりました
国民精神総動員運動だの国家総動員法だのに私たちは二度と協力しません

日本国憲法施行から今年で75年になります
日本国国民は二度と全体主義に協力するか否かを迫る踏み絵を踏むことはありません

いつか「もうマスクを着けなくていいよ」と言ってもらえる日を待っていても、来ません
自ら外すしかないのです

地下鉄でバスでお店でどんな貼り紙がだされていようと どんなアナウンスが流れていようと、みんながマスクを外し、アホらしい生活様式やすべてのコロナ対策を拒否したそのとき、コロナという亡霊は滅び、あたりまえの日常は戻ってきます
コロナを終わらせることができるのは、マスクでもワクチンでも検査でもワクチンパスポートでもなく、私とあなたの「終わらせるという覚悟」であり、どんな要求が突きつけられても誰も協力しない、万人の非暴力非協力不服従のたたかいです

20世紀の人々にはできました
私たちにもできるはずです

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?