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ジェットフォイルについて その2

海外で運航されていたジェットフォイル

 世界で初めてジェットフォイルの運用を開始したのは1975年4月に開業した香港-マカオを結ぶ路線であった。その後ハワイ諸島、ベネズエラの順に世界各地に広がっていった。ギリシャでも導入する計画があったが、ザイール在住の船主の財産がアンゴラ内戦で没収されてしまったのでキャンセルされた。ここでは日本以外で運航されていたジェットフォイルについて紹介する。

8.1. ハワイ諸島

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 1975年6月15日にホノルル-マアラエア(モロカイ島)-カイルア・コナ(ハワイイ島)を結ぶ路線が開業した。その後ホノルル-ナウィリウィリ(カウアイ島)を結ぶ路線も運航された。運航会社はSeaFlite Inter-Island Service社で料金・所要時間はホノルル-カイルアコナ間が25ドルで4時間50分、ホノルル-ナウィリウィリ間が20ドルで2時間30分だった。ちなみに当時の島間の航空便は20~25ドルほどである。機材は3隻でカラカウア(製造番号1)、カメハメハ(製造番号3)、クヒオ(製造番号4)である。
 SeaFliteの歴史について簡単に説明する。ハワイ諸島では1949年に島間を結ぶフェリーが廃止され、ハワイアン航空とアロハ航空の航空便か、船をチャーターするのが島間を移動する方法になっていた 。1970年代の初頭にケントロン・ハワイ社はボーイングからジェットフォイルの提案を聞いて、島間のフェリーを再開することを考えた。ハワイ当局から了承を得たのち、ボーイング社と合同でPacific Sea Transportation Co. Ltd. (PSTL)とSeaFliteを設立した。ジェットフォイルの所有はPSTLが行い、運航はSeaFliteが行った。ジェットフォイルにもハワイ諸島に応じた改造が行われた。カメハメハがMatson container社のコンテナ船Hawaiian Monarchに乗って、1975年5月13日にホノルルに到着した。一カ月間の訓練とテストが行われ6月15日にホノルル-マアラエア間で運航が開始された。1月後にはクヒオと試験を終えたカラカウアも就航し、本格的な運航が始まった。
 航行中にイルカや遭難者を救助したことやマアラエア島で沿岸警備隊の船に衝突したり、航行中に火災が発生して沿岸警備隊の船に曳航されたりなどトラブルもあった。刑事ドラマ「ハワイファイブ」に悪役が乗る船として出演したり、ウォータージェットがサンゴを破壊しウォータージェットで目詰まりするトラブルもあった。冬のハワイの海は荒れやすいが、波の高さが8m近くで風が25m/sの天気でも運航を続けたこともあった。海中生物との衝突やサンゴを破壊する恐れがあったことや飛行機との競争が激しくなったことから1978年1月に運航を休止した。運航を休止した後に新聞に以下の文章が掲載され別れを惜しまれた。
"Even minor miracles are hard to come by these days, but we would certainly welcome one that might save SeaFlite for our Hawaiian waters."
 筆者日本語訳:最近はかすかな奇跡も起こらなくなったが、ハワイの海のためにSeaFlightが復活する奇跡を歓迎します。
 しかしPSTLは噴射飛航からジェットフォイルを購入するという提案を受けこれを承認した。これによりPSTLは事実上終了し、ハワイのジェットフォイルはこれで終わってしまった。1979年にPSTLを復活させようとする動きがあったが失敗に終わった。

8.2. ドーバー海峡

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 ドーバー海峡には昔から多数のフェリーが運航されており、イギリスとヨーロッパ大陸を結ぶ要所である。ジェットフォイルの運航路線は4つでP&O Jet Ferriesが1977年に開業したロンドン-ゼーブルジュ線と1980年に開業したロンドン-オーストエンド線、イギリスのフェリー会社Sealinkの子会社でジェットフォイル専門の運行会社であるJetlinkが1979年に開業したブライトン-ディエップ線、ベルギーの国営フェリー会社RMTが1981年に開業したドーバー・ラムズゲート-オーストエンデ線である。
 機材はJetlinkがFlying Princess (製造番号7)とNormandy Princess (製造番号12)、P&O がJet Ferry One (製造番号13)とJet Ferry Two (製造番号16)、RMT がPrincesse Clementine(製造番号19:後のセブンアイランド虹)と Princesse Stephanie(製造番号20:後のセブンアイランド夢)である。

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1990年代に撮影されたPrincesse Stephanieの写真
photo by Frank Van Hevel

 JetlinkのFlying Princessは1977年の3月にコペンハーゲンに到着し、3カ月間のプロモーションツアーを行った。イギリス・ノルウェー・スコットランドなどの北ヨーロッパ諸国の26の港を訪れた。ツアー終了後、P&Oにリースされ1977年6月1日にロンドン-ゼーブルジュ線でヨーロッパ初のジェットフォイル路線として試験運航を開始した。ロンドンではタワーブリッジのそばにあるセント・キャサリン・ドッグから発着し、ゼーブルジュまで4時間弱で結んだ。ゼーブルジュに就航したのは既存のフェリーとの競合を避け、新しい需要を掘り起こすためだった。運行開始後、狭いテムズ川のゴミ問題と定時運行の難しさが明らかになった 。また航行のたびにタワーブリッジを跳ね上げており、一回の跳ね上げで必要になる6000ポンドの費用も負担になった。P&Oは運航結果を受けて1978年9月25日に運航を終了した。機材をJetlinkに返却し、Jet Ferry OneとTwoを購入し新しい路線を開設することにした。
 P&Oは1980年2月29日にロンドンの発着港をタワーブリッジより河口側のセント・キャサリン・ドッグへと変更し、ロンドン-オーストエンデ線の運航を開始した。3月から10月は1日3往復で、11月から2月は1日2往復での運航となった。運賃は片道22ポンドほどで機内食が提供された。しかし1981年の夏に運航を終了し、Jet Ferry OneとJet Ferry Twoを香港のTurboJETに売却した。これをもってP&Oは5年弱でジェットフォイルの運航を終了した。
 Jetlinkは1979年からブライトン-ディエップ線の運航を開始した。1980年6月からFlying Princessはスペインのカナリア諸島での試験運航のためにTrasmediterranea社に貸し出された。1980年に行われた試験運航は好評で、1981年8月にカナリア諸島での本格運航のため売却されFlying PrincessはJetlinkを去った。Jetlinkはジェットフォイルの整備に苦労したため1982年に運航を終了し、Normandy Princessは銀星と名前を変え噴射飛行へ売却された。
 RMTは1981年5月31日にオーストエンデとドーバーを結ぶ路線を開業した 。どちらも鉄道駅が近くにありスムーズな乗り継ぎを可能にした。1994年に目的地をドーバーからラムズゲートに変更し、1998年に運航を終えた。運航を終えた理由は1994年に英仏海峡トンネルが開業しており、需要が減少したからだと考える。機材は運航終了後にドイツの船会社に売却され1年ほどチャーター便の運航を行った。1999年6月にSeaJet Bahamas社に売却されPrincesse ClementineはSeajet Karaに、Princesse StephanieはSeajet Kristenに名前を変え、貨物船THOR SIMBAに乗ってバハマへと渡っていった。
 運航休止の理由として共通するのは整備の難しさと気象条件の悪さである。各路線の1982年から1988年の間の就航率は84.4%で、欠航した3084便のうち1247便は技術的なトラブルであり、特にタービン関連の故障が多かった。残りは悪天候によるものが多く1月の就航率は70%に留まった。また航空運賃が安くなったことや英仏海峡トンネルが1994年に開業したことにより、需要が減少していたことも考えられる。
 1981年8月にPrincesse Clementineが貨物船MS BUENOS AIRESと衝突して運航できなくなったが、代船としてJet Ferry Oneが運航に就いた。1988年にPrincesse Stephanieのウォータージェットポンプの羽根車に亀裂が見つかった。原因は建造時の施工不良であり、修理のため2カ月間運航できなかった。その間はPrincesse Clementineが1日3往復の運航を行って便数を確保した。

8.3. アイリッシュ海

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 1980年にB&I lineによってダブリン―リバプールを結ぶ路線が開業した。B&I lineは19世紀からアイルランドとイギリスを結んでいる名門の船会社である。機材はCú Na Mara(製造番号15)で「海の猟犬」という意味である。片道3時間10分で1日2往復運航された。当初はホバークラフトを使用する予定だったが、アイリッシュ海の厳しい気象条件を考慮してジェットフォイルが導入された。しかしジェットフォイルでの運航も厳しく、冬は週に2日運航するのが精いっぱいだった 。そんなCú Na Maraについたあだ名は「The tin foil」(アルミホイルの意味)だった。
 就航率の低さと維持費の高さが理由で1982年に引退し、アークローのティレル造船所に係船された。1986年5月に佐渡汽船が購入しカーフェリー(おそらくおおさど丸)の導入を後回しにして導入された。価格は17億円で当時の新造価格は36億円だったので半額程度で導入できた。5月13日にアークローを去ってダブリンで重量運搬船コンチベルギガ号に載せ替えられて、6月25日に川崎に到着した。日立造船で整備され、7月30日にぎんがとして運航を開始した。

8.4. シアトルーバンクーバー

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 1976年9~11月にシアトル~ビクトリア間で試験運航が行われた。並行する航空・船舶路線にどのくらい対抗できるかをテストするためで、ボーイングと汽船会社2社の共同で運航された。機材はP&O Ferriesに引き渡される前のFlying Princess(製造番号7)が一時的に使用された。運賃は往復30ドル 。
 その後1985年3月10日からカナダのIsland Jetfoil社によって、シアトル-ビクトリアを1日2往復、ビクトリア-バンクーバーを1往復で運行された 。機材はアルゼンチンやアラスカ州で使われていたSpirit Of Friendship (製造番号17:後のジェット7、セブンアイランド愛)が使用された。機内サービスとしてサンドイッチ・スナックの提供が行われた。料金はシアトル-バンクーバーで片道45ドル、往復79ドルだった。ちなみに並行する航空便は片道60ドル、往復99ドルである。しかしボーイングがジェットフォイルの製造を中止しサポートが難しくなることから、わずか5カ月で運航を終えた。機材はジェット7と名前を変えて加藤汽船に売却され、大阪と高松を結ぶ航路に就いた。
 1997年にクリッパーナビゲーション社が噴射飛航から2隻のジェットフォイルを購入して運航を再開する動きがあったが、その後の詳細は不明である 。

8.5. 香港―マカオ

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名前は帝皇星(LILAU)で元イギリス海軍のジェットフォイル
photo by Melvinnnnnnnnnnn (FN2187)

 香港とマカオを結ぶ主要ルートであり、香港各地とマカオ・深センとマカオを結ぶ路線を24時間多頻度運航している(新型コロナウイルスの影響で2020年2月から全線運休)。ジェットフォイルの一番古いオペレーターである噴射飛行が1975年4月25日から運航しており、ジェットフォイル以前はPT-50、75やイタリアのRodriquez社のRHS110、160といった水中翼船を運用していた。現在ではジェットフォイル以外の高速船としてKvaerner社のFoilCatとFlyingCat、FBM Marine社のTriCat、Austal Ships社のAustal Catを使用している。FlyingCatとAustal Catは双胴型の水中翼船である。一部のジェットフォイルを除いて4クラス構成となっており、エコノミー、スーパークラス、プレミアムクラス、VIPキャビンに分かれている。プレミアムクラスより上位ではラウンジ・リクライニング付きレザーシート・機内食・アルコール類の提供・送迎サービスがついている。VIPキャビンは個室となっておりファーストクラスさながらのサービスが受けられる。他の船内サービスとして機内エンターテインメント・荷物置き場・無料Wi-Fi・船内免税店などがある。世界で一番多くのジェットフォイルを運航しているが、新型コロナウイルスの影響で退役するジェットフォイルが出ており、今後の動向は不明である。

8.6. アルゼンチン

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 アルゼンチンの首都・ブエノスアイレスからウルグアイのコロニアを経由してモンテビデオを結んでいた。1980年12月から1981年までAlimar S.A.社によって運航され、南米唯一のジェットフォイル路線だった。ジェットフォイルを導入する前はアリマール社のPT-50水中翼船を18年間使用していたが、老朽化のため代替として導入した。機材は新造船のMontevideo Jet(製造番号17)を使用し、定員は272名で船内では食事が提供された。130海里を3時間弱で結んだ。評判は良かったが維持費が高いこともあり、10カ月の運航で終わってしまった。使用されていた機材はボーイング社へと戻りアラスカでの試験運行に使われる。

8.7. スペイン・カナリア諸島

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 カナリア諸島のラスパルマス-テネリフェ、モロ・ハブレ間をTrasmediterranea(トランスメディテラネア)社が運航した。海外では唯一、川崎製のジェットフォイルを運航していた。機材は1980-81年に導入されたPrincesa Voladora(製造番号7),Princesa Guyarmina(製造番号18),Princesa Guacimara(製造番号21)と、代替として1990-91年に導入された川崎製のPrincesa Dacil (製造番号F4),Princesa Teguise(製造番号F11)を使用していた。

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1994年に撮影されたPrincesa Teguiseの写真。後ろの方をよく見ると「KAWASAKI JETFOIL F-011」の文字が見える。
photo by Frank Van Hevel

 カナリア諸島は波が高くジェットフォイルが導入される前に使用されていた半水没型水中翼船は不評だった。そこで1980年7月にP&O Jet FerryからFlying Princess を試験的に導入しテストが行われた。最初のテストでは操船に慣れていないせいか、乗客のほとんどが船酔いしている状況だった。しかし評価は高く1981年にFlying Princess を買い取りPrincesa Voladoraと名前を変え、Trasmediterranea社のフラッグシップとしてラスパルマス-テネリフェ間で一日4往復の運航を開始した。1987年6月20日からテネリフェ-ラスパルマス-モロ・ハブレ間で運航が開始された。1987年の夏には一カ月で約4万人利用しその結果、ラ・ゴメラ島の空港建設計画は延期された 。1993年9月26日にテネリフェで行われたマイケル・ジャクソンのコンサートでは1日で2044人の乗客が利用し、乗客の最多記録が更新された 。
 水中生物、特にクジラとの衝突が懸念され、1984年1月21日と1991年7月4日にクジラとの衝突事故が発生し数人の乗客が負傷した。1992年2月29日に発生したPrincesa Teguiseとクジラとの衝突事故では、1人が死亡し20人が重軽傷を負った 。この事故を受けてWDAと呼ばれるアクティブソナーを用いてクジラを発見する装置を取り付けた。しかし2002年に再びPrincess Teguiseがクジラと衝突し重傷者を出す事故を起こした。この事故で水中翼にダメージを負ったPrincess Teguiseは修理を行ったが、路線を限定して運航された。水中生物との衝突問題を根本的に解決できず、事故のたびに必要なスペアパーツが高価なため2005年8月1日をもって運航を終了すると発表された。しかし7月19日にまたもや鯨類との接触事故があり、この日をもって25年に渡る運航を終了した。25年間で500万人以上の乗客を輸送した。代替としてIncat社やAustal Hall社の光速双胴・三胴船が導入された。Princess Dacilはぺがさすとして九州商船へ、Princess Teguiseはトッピー5として種子屋久高速船へと売却された。

8.8. フロリダ-バハマ

 1999年11月からアメリカ・フロリダ州のパームビーチ~バハマ・フリーポート間で1日2便・週5日の運航が始まった。運行会社はSeaJets社で、親会社はバハマでリゾートホテルの経営を行っている。運賃は片道90ドルで観光客を主体としていたので、船内では軽食やカクテルの提供が行われた 。機材はSeajet Kara(製造番号19)とSeajet Kristen(製造番号20) 。水中生物との衝突が相次いだため2000年9月に運航を終了した。Seajet Karaはセブンアイランド虹に、Seajet Kristenはセブンアイランド夢に名前を変えて東海汽船へ売却された 。

8.9. イギリス海軍

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イギリス海軍が導入したP296の写真
photo by Hugh Llewelyn

 ジェットフォイルは軍用の船を民間に転用したものだったが、その逆を行った。1976年に海洋漁業の管轄権が陸地から200海里に拡大され、機動性の高い漁業監視船を必要としていたイギリス国防省の依頼を受けて開発された。名前はHMS Speedy(製造番号14)で、定員は15名ほどである。数日間の行動ができるように宿泊設備や備蓄庫が備え付けられているが、水や燃料は重たくスペースを取るので毎日補給する必要がある。1980年に就航し北海で漁場監視船として使用されていた。北海は豊かな漁場で知られ、北海で獲れたタラやサーモンは日本でも見かける。(トマト煮にすると美味しいよね。)石油資源が豊富にあることでも知られており、その1で説明したオフショア支援船の利用が想定された海域でもあった。しかしジェットフォイルは20~30ノット付近を維持して航行し続けることが難しく、運用面での不便さもあった。追加で調達する予定があったが、その話もなくなり1986年に引退した。機材はTurboJETに売却され帝皇星に名前を変えて運航されている。

8.10. インドネシア海軍

 1981年から1985年にかけて3隻が建造された。ジェットフォイルの高速性と操作性の高さを見込んで巡視船やガンシップ・輸送船として50隻弱を調達する計画で、最初の6隻をボーイングから購入し残りはインドネシア国内で製造する予定だった。40mm機関砲を搭載し武装した船もいた。しかし特殊な装備を積むために高価なことや赤道直下の高温の影響でエンジンの出力が低下することから3隻の調達にとどまり2000年を前に全機退役した。

8.11. その他

 1982年から1984年にかけてアラスカ州とアラスカ・マリン・ハイウェイ社と共同でアラスカ南東部での試験運行が行われた。機材はAries(製造番号17)。1982年8月中旬から9月中旬、1983年1月と1984年6月中旬から9月初旬の3回が行われた 。1982年の試験では主要都市を回りながらデモンストレーションが行われた。1984年の試験ではジュノー、ヘインズ、スキャグウェイ、テナキー、アングーン、フーナ、シトカの間で定期航路が開設された。アラスカ州は最終的に燃費の悪さと自動車を積めないことを理由に導入を見送った。機材は試験終了後の1985年の1月にIsland Jetfoil社に売却され、シアトルーバンクーバー間での運航を開始する。
 ベネズエラとサウジアラビアでも使用されていたが詳細は不明である。

9. その他の水中翼船

 世界で初めての水中翼船は1891年にde lambert伯が製造した。蒸気機関を搭載し時速9ノットの速度が出せた。1906年にはイタリアの発明家エンリコ・フォルラーニーニによって36ノットの水中翼船が作られた。1919年にグラハム・ベルとボールドウィン助手によって、航空機用のエンジンを搭載したHD-4水中翼船が建造され70ノットを記録した 。実用的な水中翼船は第二次大戦中にvon Schertelが開発した、80トンの輸送艇が最初である。その後von Schertelはシュプラーマ社を設立し、1952年に旅客船PT-10を開発した。PT-10は1953年5月からイタリアとスイスにまたがるマジョーレ湖で運航を開始した 。その後、大型のPT-20、PT-50を開発し世界に販路を拡大していった。シュプラーマ社の歴史は下の動画が詳しいので興味のある方は見てみてください。

 1960年ごろから日本でも水中翼船の技術開発が本格的にスタートした。三菱造船や新明和工業は自主開発を目指して研究を行い、日立造船はシュプラーマ社との技術提携によって開発を進めた。

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新明和が開発したSF30の写真
船舶 1961年9月号 「新明和水中翼船SF-30」より引用

 新明和は飛行艇を製造した経験と知識を生かして1961年にSF-30を開発した 。前中後の3つの水中翼を持ち、艇走時には跳ね上げられる。船体は軽合金を使用し、表面にプラスチックコーティングを施している。気密構造になっており船底にゴムの浮き袋を搭載しているので「沈没はありえない」としていた。普通の船と比べて補修費も安く耐用年数も2倍近くある。1962年3月に野母商船が開業した日本初の水中翼船の定期航路である長崎・時津港~佐世保を結ぶ路線に使用された。しかし2年足らずで廃止されてしまった 。

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日立造船がライセンス生産したPT-50の写真
船舶 1963年4月号 「TP-30型水中翼船」より引用

 日立は1960~80年にかけてスイス・シュプラーマ社の半没型水中翼船を日立-PT20,50型という名前でライセンス生産していた。プロペラ駆動で35ノットの速度を出せたが、水面上に翼が出ているので波の影響を受けやすかった。しかし左右に傾いたときに元の姿勢に戻ろうとするので、高度な姿勢制御システムを必要としない。そのためジェットフォイルより安価で構造が簡単である。小田急汽船その後1993年に水中翼付双胴高速船「スーパージェット」を開発した。ジェットフォイルと違い船体が完全に水面上に出ないが喫水が浅くなるので水の抵抗を削減できる。速度37.4ノット、旅客定員160人、総トン数192トンである。船体が水に接しているので波の影響を受けやすいが、水中翼のフラップを動かして横揺れを抑えている 。松山~広島を結ぶ石崎汽船や石垣島~波照間島などを結ぶ安栄観光で使用されている。

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三菱が開発したMH-30の2番船の写真
船舶 1963年5月号 「三菱水中翼船MH-30型2番船」より引用

 三菱は当初グラマンやボーイング社との技術提携も考えていたが、条件が折り合わず自主開発の道を歩んだ 。米海軍が水中翼船の開発が活発化していたこともあり、魚雷艇を製造していた三菱は軍用に開発を進めてきた。その後商用艇への期待が高まってきたので1961年に5人乗りのMH-1と12人乗りのMH-3を開発し、1963年に80人乗りのMH-30の開発を行った。MH-30は近鉄志摩観光汽船でPearl Queenと名付けられて運航され名古屋-鳥羽間で活躍した。当時名鉄観光もPT-20,50で名古屋-鳥羽間に就航しており水中翼船同士の対決となっていた。その後1964年にはオートパイロット付きの全没型水中翼船の開発に成功している。三菱の技術者がいうには平水で高速を出す水中翼船を作るのは難しくない、問題は高波でも快適な乗り心地を提供できるかなのだと。

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スーパーシャトル400のイラスト
「スーパーシャトル400 レインボー」隠岐汽船著より引用

 1993年に全没型水中翼船「スーパーシャトル400」を開発した。双胴船の船底に水中翼を設置し、ジェットフォイルと同じように船体全てを水面上に出して航行する 。双胴船とすることで水中翼を大型化し、波が船底に当たったときの衝撃を緩和できる。さらに座席を横に16列並べられ客室を広くできるので居住性が向上している。しかし水中翼を跳ね上げられないので、喫水を浅くするためにストラットを長くすることは難しかった。ジェットフォイルと同様に徹底した軽量化が図られ、外板の板厚を薄くしハニカム構造を採用している。エンジンは2850馬力の4サイクル・2000rpmのディーゼルエンジンを4機搭載している 。ディーゼルエンジンは給排気装置や補機類が多くガスタービンと比べて重たいが、水中翼を大型化することで性能を補っている。ジェットフォイルと同様に姿勢制御装置を搭載しておりAPF(Auto Pilot on the Foils)の名前がついている。定員は341名で40ノットで航行する。センサー類はジェットフォイルより少なく効率化されている。載貨重量トン数は35トンで、航続距離は800kmになる。隠岐汽船で2隻使用されていたが2013年に引退し、1隻は韓国の大亜高速海運で2018年まで使用されていた。その後マレーシアに売却されたようだが詳細は不明である。当初は200人乗りのスーパーシャトル200も開発する予定であったが、400の販売実績を受けて中止された。
 メーカーをまたいで高速船が開発されたこともある。1990年代にIHI、川崎重工、住友重機械工業、日本鋼管、日立造船、三井造船、三菱重工の7社でテクノスーパーライナー(TSL)と呼ばれる高速・大量輸送を実現できる船の開発が行われた 。目標は速度50ノット、貨物積載重量1000トン、航続距離500海里とし、研究段階では2つの試験船が作られた。1つは浮力と揚力で航行する揚力式複合支持型(TSL-F船型)「疾風(はやて)」で、もう1つは浮力と空気圧で航行する空気圧力式複合支持型(TSL-A船型)「飛翔」である 。ここでは水中翼船とほぼ同じ構造を持つ疾風について簡単に解説する。

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疾風の側面図
船舶 1994年7月号 「スーパーライナー実験船「疾風」・「飛翔」の概要」より引用

 疾風は実用船の1/6スケールの試験船である。上部船体はアルミ合金で、水中にある下部船体はステンレス鋼でできている。ジェットフォイルとは違い、全重量の半分を下部船体の揚力で支持し、残りの半分は浮力で支持している 。波高6mでも航行できることを目標に設計された。浮力で支持しているが、構造上自己復元力はほとんど働かない。そのため姿勢制御システムが非常に重要であり、疾風はこのシステムを実海域において試験するために作られた。1989年から1992年にかけて開発・設計・製造され、1992年から1994年にかけて試験航行が行われた。試験は主に大阪湾で行われた。高さ6mの波でも40ノットの速度で安定して航行でき、優れた耐航性と操縦性を確認した。また実船を建造するための設計技術があることも実証した。しかし船価や維持費が高く、TSL-F船型の実用化は見送られた。

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あとがき

最後までお読みいただきありがとうございます。稚拙な日本語にお付き合いいただき大変恐縮です。疑問点や不明なことがございましたら、お気軽にコメントを残していただけると幸いです。
また筆者も執筆の過程でいくつか疑問に思うことがあるので運航・開発に携わったことのある方がいらっしゃいましたら、お話を伺えると大変嬉しいです。

参考文献

〇がついているものはネット上で閲覧することができます。「船舶」、「船の科学」はデジタル造船資料館様で閲覧できます。ジェットフォイル以外にも面白い記事がたくさんありますので、ぜひ読んでみてください。

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