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心が死ぬ

知り合って一ヶ月ばかりの、同じ屋根の下に住むご近所さん。
その中に私より年齢が一つ上の女性がいる。

その女性はとてもお節介だ。
私がワクチン接種後に37.2℃という微熱を出しただけで、「何か必要なものある?買ってくるよ!」とバニラアイスを買ってきてくれた。

バニラアイス一つ買うにしても、「チョコ味だとちょっともったりしてしつこいよね?かき氷とかサッパリした感じの方がいいかな?」とどこまでも気を遣うので時間がかかる。

私はお腹が冷えやすいので夏場でもカイロを貼る。
その姿を見て、「カイロもあるから!」と言ってくれる。

コーヒー好き?サンプルのシャンプーいる?冷蔵庫のリンゴジュース、私のだから好きに飲んでいいよ!

そんなふうに話す彼女は、いつも他の誰かのために一生懸命である。

私にこんな姉がいたら、人生違ったんだろうなと思った。

家族の中に私の体調を気遣って、わざわざアイスを買ってきてくれる人なんていただろうか。
私のお腹が冷えやすいことに気がついた人はいただろうか。
私の好きなもの、嫌いなものを気にかけてくれた人はいただろうか。
私が体調を気遣って飲み物や食べ物を買ってきても、その逆はあっただろうか。
お礼なんて言われたことあっただろうか。

ここに書こうと色々思い出そうとしてるのに、思い出せることなんて殆どなくて。
改めて、私にとっての家族とは夢や幻と同じようなものだと気づく。

ここに来て初めて旦那さんがいかに大切な人かと気づいて、旦那さんの元に帰ろうとしている人がいる。
その人がそう話しながら流した涙はとても綺麗で、私には到底流せそうにないものだった。

帰る場所があるのが、ただただ羨ましい。

私は誰かがいる家に帰ったことがない。
誰かに向けて「ただいま」と言ったことがない。
だから「おかえり」も言われたことがない。

「ただいま」と言える場所がほしかった。
「おかえり」と言ってもらえる場所がほしかった。

「おはよう」も「おやすみ」も、「ありがとう」も「ごめんね」も、こんなありふれた挨拶が至極当然のように交わせる場所がほしかった。


とまぁ、ホルモンバランスの都合もあって、こんなふうに落ちたりすることもあるのです。
でもこんなのはしょっちゅうあるので、正直どうでもいいんす。

他に私の頭を悩ませることがあって、「心が死ぬ」と思いました。

私は自分の生活を立て直したくて、それに向けて考えたり動いたりしてるので、正直他の人を構ってる余裕はないんです。

私の主観とか憶測でしか見てないので何とも言えないのですが、少々被害妄想がお強いご近所さんにロックオンされているような気がしまして。

同じ屋根の下に住んでるとはいえ、私としては本当にただのご近所さんくらいの感覚でいるんですよ。
だから皆さんと普通にお話しするし助け合うけど、深くは踏み込まないでいます。

ただ、私と年齢が近めの方と二人でお話しする機会が多くてですね。
その方のお話を聞くと、私はものすごく疲れるのです。

私の目から見たここにいる方達は、癖は強いけど基本的に優しい方ばかりです。
分からないことがあれば教えてくれるし、何かと気にかけてくれるし。
話し方も普通だし、本当は駄目だけどチョコとかくれたりするし。

でも少々被害妄想がお強いその方と二人っきりになってしまうと、「あの人は人をいじめる」だの「あの人は怒鳴ってきたりする」だの、そんな話しか出てこないんですよ。

もうね、疲れた。疲れた。
そんなの知らん知らん。

私自身がまだここに来て日が浅いっていうのもあるから、私が見えていない部分はいっぱいあると思うんですよ。
でも一時的にここにいるだけだから、別に見えなくてもいいんですよ。
少なくとも、今私の目に映ってるのは優しい姿だけなので。

私の目から見た他の方の人物像と、少々被害妄想がお強い方から聞く人物像が重ならないんですよね。
だから「へー」って聞き流すんですけど。
これがたまにだったら、私もそこまでしんどくないんですけど。

最近その方からのお手紙が、ドアの下の隙間からそっと届くようになったんです。
「ここでは話せないことを話したいんだけど、今週どこか時間ある?」と。

これが気になる男性からのデートのお誘いだったらどんなに嬉しいか。そんな相手いないんだけどさ!

私も最初は違和感に気がつかなくて、「話って何だろ?」ってホイホイついて行ったのが悪いんですけども。
んで、ここでの生活が窮屈なのは分からんでもないんですよ。
だから愚痴りたくもなるよなぁって話を聞いてたんですけどね。
それがどんどん悪い方向に進んでしまって。

確かに私の知らないところで色々あるのかもしれない。
でも現状、私はそれを見ていない。
だからその人の話は真に受けない。
でも聞くのしんどい。本当にしんどい。
話変えようと思って猫カフェの話しても強引に戻されるし。

もう嫌だ。
誰か助けて。

これが例えば職場の人とかだったら、家に帰れば安らげるじゃないですか。
でも同じ屋根の下に住んでるんですよ。
私の行動パターンが大体把握されてるんですよ。
全く持って気が休まらない。

ましてや私は今後のことでいっぱいいっぱいである。
ケースワーカーさんとちゃんとお話しして、仕事探して部屋も探してってやらなきゃいけない。

私がここを出るには、まず私が一人で生活できるってことをケースワーカーさんに分かってもらう必要があるんですよ。
だからここで変に事を荒立てたくないし、他の方と距離感を保ちながらも仲良くやっていきたいんですよ。出て行くまでは。

だからその人のことも変に刺激したくない。
ちょうどいい塩梅で話を聞いて、たまには適当な理由つけて逃げて…って考えてるんですけど、もうこれを考えることすらストレス。

いやほんと、帰れる家があるって素晴らしいことです。マジで。
この人から逃げてえ。

元々最短ルートで出ることは考えていたのですが、その決意は更に強固なものになりました。

今日は通院だったりで一日外出してたんですけど、バスの中でふっと思考が停止したんですよ。
あぁ、心が死ぬなと。
今ちょっと回復したのでnote書こうと思った次第です。
こういう時って擬似的に死にたくなるのでTwitterのアカウントとか消したくなるんですよね。
今消してるんですけど、元気になればまた復活させます。

なんかね、「大丈夫」って言うのが嫌になりました。
今まで散々勝手に強がって勝手に「大丈夫」って言ってきたんですけど。

ちょっとやめようと思いました。
大丈夫だけど大丈夫じゃないです。
大丈夫なんですけど。

今言ってる「大丈夫」は、結局のところどうにかなることを身を持って知ってるし、どうにかするから大丈夫やでの「大丈夫」です。

でも本音は、ただただ誰かに物理的に寄っ掛かりたい。
んで、お互い何も話さず、目を閉じて静かに時間を過ごしたい。
眠くなったらそのまま寝ちゃいたい。
起きたら一緒にホットコーヒー飲みたい。
そんな安らぎがほしい。これだけで十分回復できる。

こういう時にレンタル何もしない人をレンタルできたらいいんだろうけど、あの方既婚者でお子さんもいるんですよね。
それを考えちゃうとできねえわ。お金もないし。

ということで、今日は心が死ぬと思った日でした。

ただ、なんてことのないメッセージが届いた時、普通に元気出ました。
それだけのことがめっちゃ嬉しかった。
なんか安心しました。

ちゃんと元気に復活したいところですが、それは環境が変わってからになるかもしれません。
そのためにもとにかく頑張る。弱音吐きながらも頑張る。



こういう時に聴く高橋優の『陽はまた昇る』はほんと刺さる。
映画もいいよね。


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