駄文

これは、長々と書いた駄文である。

希死念慮とは
自らの命を絶つことについての考えや反芻のこと。これは診断名ではないが、一部の精神障害の症状であり、精神障害がなくとも辛い出来事や有害事象に反応して発生することがある。[wikipedia]

私は、独りになると希死念慮に苛まれる。
独りというのは、家の中に1人でいることを指す。しかし誰かと通話していたりする場合は、独りではない。自分自身のことではあるが、ややこしい話だな。

朝、いつも通り起床する。
同居人の存在感が感じられなかった場合、希死念慮に取り憑かれる。
「私は何故生きているのか」を真剣に思考してしまう。
結論決まって同じだ。
「世の中にいらない私は存在を消すべきだ」となる。
そして、気がついたらドアノブやベッドにベルトを巻き始めてしまう。
そのあたりで正気に戻る。
正気に戻れるのは、同居人と2人で選んだ写真立てに入れた思い出の写真のおかげか、大切な君のおかげだろう。
戻ってこれたら、カーテンを開けて出来るだけ日光を浴びる。そして1日が始まる。

先程までの話は、仕事が休みの日だった場合である。
ちなみに仕事の場合は、希死念慮に取り憑かれていたとしても「仕事」という大きなものを背負っているおかげで外に出られる。人様に迷惑をかけたくない気持ちの表れから、動けるのかもしれない。

では、週5で働けば希死念慮に取り憑かれても苦しまないで済むだろう。って思うだろう。

私もそう思った。
そして何度も何度も試した。
結果は「体力も精神もすり減って、気がついたら見慣れた天井で虚空を見つめている状況」だった。我ながら情けない話だな。
普通の人間が出来ることが、私には出来ないのだ。恥ずかしいなぁ。

いやまて、そもそもに普通の人間ってなんだろう。
普通というものを調べてみるとしよう。

普通とは
特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。[goo辞書]

いや定義広すぎだろ。
当たり前って具体的にどういう意味なんだ。

当たり前とは
1 そうあるべきこと。そうすべきこと。また、そのさま。「怒って—だ」2 普通のこと。ありふれていること。また、そのさま。並み。ありきたり。「ごく—の人間」「—の出来」[goo辞書]

ここまで調べて私は、やっと理解した。
「そうであるべき」「そうすべき」「普通」「当たり前」は、自分と社会のものさしで測られているものだと。

「普通の人間」というのは、社会生活を送っている人達が「これぐらい出来て当たり前」という認識がこなせる人のことを指すのではないかと気がついた。
そして私は、社会生活を送っている人達が「これぐらい出来て当たり前」が出来ない「普通では無い人間」なのだ。
もっと悪い言い方をしよう「当たり前が出来ない愚かな人間」なのだ。

これは、人を傷つけるために書いているわけではない。自分自信をそう認識しているから、書いているだけである。私と同じ立場の人がいたとしても、こういった思考回路になる必要はない。ならないでほしい。

私は、こういった人には何かしら才能がある人が多い傾向があると考えている。
才能という言い方は嫌だな。努力が出来るという言い方も違う気がする。秀でているモノがあるという言い方はどうだろうか。
天性で持ち合わせている何かが、努力することで磨きがかかり、秀でるモノへと変貌を遂げる。という言い方にしよう。それが1番ピンときた。

身近の人で挙げよう。
音楽、文書、絵、計算など。
そういった人がたくさんいた。
少なくとも私がそう思っているだけかもしれないが。

そして私には。

私には。

私は。
何もない気がする。

絵が描けるわけでもない。
音楽が作れるわけでもない。
文書もご覧の通りだ。
計算は出来なくなった。
私には何も無い。

何も無いならどうするのか。
無いなりに模索すれば良い。

私は演劇が好きだ。
演るのも観るのも好きだ。
これは幼少期から変わらない。
一時期はプロの道を志したこともある。事務所に入り、オーディションを受け、ことごとく踏み潰されたが。それでも好きだった。
今はもうプロの道に戻れるほどの精神力も体力も無くなってしまったが、それでも細々と演劇は続けているぐらい大好きなんだ。

何が言いたいのか、わからなくなってきた。本当に駄文というタイトルにピッタリだな。

つまり何が言いたいのかと言うと。
私という人間は、世間一般から離れたところにいる。
そして秀でているものもない。
だが、好きなものに出来る限り関わり続けて行きたいと願っている。
そんな人間の書いた駄文だ。


最後に。
演劇の世界ではこんな言葉がある。
「役者を殺すにゃ刃物はいらない。褒め言葉さえあればよい。」
これは、どの界隈でも同じではないだろうか。
褒め言葉って「出来てるから大丈夫」「努力しなくても大丈夫」という安心に繋がる可能性がある。努力を辞めるきっかけになることもある。
受け取り方に気をつける必要があるのではないかと、私は考える。

だが私は、「凄い」と思ったら「凄い」と言葉にする。
これは素直な感想だから。それをどう受け取るかは相手に委ねる。


駄文すぎたな。おしまい。

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