音楽の本質は音そのものだろうか?という問

とても興味深い記事を発見。何度読んでも興味深い。というか、何度読んでも、理解困難。。。苦笑
→http://www.todaishimbun.org/hayatosumino20190906/

(コピペ)→まず、聞いたものを楽譜にするシステムを構築することには一定の需要があると思います。また、メガバイト単位の音源データをキロバイト単位のピアノロールに還元できれば、それだけ情報量の濃度が高くなるわけです。音楽面に関して言えば、楽譜は基本的に平均律を元に作られているので多かれ少なかれそれに縛られますが、先入観のないコンピュータがピアノロールの表記を元に演奏、作曲すれば、12平均律の枠組みに慣れきった人間とは異なり、いずれ音楽を新たな次元に到達させるのではないかと考えます。

音楽の新たな次元・・・そんなものあるん?と思った。言葉では簡単に表記できるかもしれないけれど、音による実際的な音楽の新たな次元なんて、私には全く現実的なイメージはつきもしないし、そんな発想を持ったことさえない。
12平均律って、12で均等にそもそも上手く割り切れないって聞いたような、、、。人間ゆらいで合わせてるのかねぇ?なんだかんだ、よーわからん。

(コピペ)音楽の本質は音そのものだろうか、それとも音を創り出している人間なのだろうか、という問いを突き詰めたいです。ぼくは前者だと思うんです。

う~~む、、、、。これは、悩む。。。わたしは後者と、単純に最初は答えをだしたけれど、私には解りません。でも後者と捉える感覚できっと私は音楽を捉えてきているのだと思います。そういう風に音楽を聴いてきたから。

例えば人間の感性にとまる音楽を作ったとして、それを機械で演奏させたとする。例えば仏具のおりんやシンギングボールやクリスタルボールなどでそれを音楽として演奏したとする。そうすると、突き詰めると音楽の本質は、音そのものになったりするような気もする。より高い高~い次元では前者なのかもしれません?

音とか、和音とか、そういうものの、並びとか、うねりとか、、、面白くはあると思う。より多くを上手くコントロールするのは難しいけど。人工知能をつかえば、より表現が増えて面白くなるのかな。それを認知できる私でいれるかは問題というか疑問だけど。

音楽という言葉に、楽しむという言葉が入るなら、楽しむのは人間だからやっぱり音楽は人間が作ってこそで、そこが重要というのはこれからも変わらない。けど、音楽の本質となるとどうなんだろう?

ほんしつ
【本質】
そのものとして欠くことができない、最も大事な根本の性質・要素。

思考が訳わからなく纏まらないので、これにて一件落着、してないけど落着っていうか、毎度の強制終了。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?